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2007年01月28日(日)・「行き倒れ心理学」
 ドサッ。
「!」
「?」

 多摩川河川敷の神奈川県側サイクリングコース。
 私は、ガス橋より300m位下流の所をさらに下流の多摩川大橋に向かって歩いていた。

 前方より、小柄ではあるががっしりとしたタイプの老人がよたよたと歩いてくる。
 距離約30メートル、よたよたと歩いて来る老人がいきなり土手の雑草の中に倒れた。
 突っ伏すように・・・・・、受身は勿論のこと手を突くこともなく前のめりに顔から草むらに倒れこんだ。
 倒れこんだというより、マネキン人形でも後から押して倒すようにパタッと倒れた。
(あれ?)
(あーあ、おじいさん転んじゃったよ。あんな転び方して危ねぇな、大丈夫かよ)

 ところが・・・・・おじいさん・・・・・動かない・・・・・・一向に動かない・・・・・・・・・微動だにしない。

(!?)

 歩く私は少しずつ近づく。
 おじいさんは動かない。
(心臓麻痺か!)
動かない。
(行き倒れか!?)
兎に角、動かない。

(すわ一大事!)
 私は、倒れたおじいさんに向かって走った。と、同時に私以外に目撃者が居ないかと周りを見回した。
 日曜日のサイクリングコース付近は、歩く人、走る人、自転車で走る人、犬を連れた人他、結構な人出である。にもかかわらず、
(何だよ、こんなときに限って俺しかい見てないのかよ。俺しか居ないのかよ)
何故か周りには誰も居なかった。おじいさんのほうに走りながら2つの考えが同時に頭の中を巡った。
(どうしたんだ?大丈夫か?)
(ばっきゃろ、俺が面倒見なきゃいけねぇのかよ)

 奇麗事は言わない。俺の性格はこんな風にひん曲がっている。


(一体どうしたんだ!?)
(大丈夫か!?おじいさん!!)
(よたよた歩いていると思ったらいきなり倒れて、何故動かん)
(倒れたり死んだりしたら面倒な事になるから、立ち上れよ)
(警察と消防、こういう場合はどっちだ?)
(ケータイは持ってるな、俺)
(面倒はイヤだから立てよ)
(爺さん!爺さん・・・・兎に角大丈夫なのか、心配させるなよ・・・・・・・爺さん)
(この状況で、素通りするわけにはいかねぇんだ、面倒は御免だぜ。立て爺さん・・・・立て!・・・・・・・立つんだ、ジョー・・・・)

「大丈夫ですか!!!!」

 動かない。
(おーなんという事だ!人の死に様とはこんなものなのか!)
(イヤ!決め付けるのは早い)

「大丈夫ですかーっ!!!」
「だいじょうーぶーーーーー?」
まるで遠くにある意識に呼びかけるかのごとく、脳味噌の中へ向かって呼びかけた。

 爺さんは、眠りから起こされた時のようにハッと反応すると弱った昆虫のようにもぞもぞと動き出した。
 黒いジャンバーの背中が波打っている。
(生きてる!)
(良かったー)
「どうしましたー」
(動けるか)
お爺さん顔を私のほうに上げながらハアハアいっている。
「どうしましたーー?具合悪いですかーー?」
「ハアハアハア・・・イヤァ・・・・ハアハアハア・・・・」
「起きられますかー?」
「ハアハアハア・・・アアァ・・・・ハアハアハア・・・・」

 お爺さんは、起き上がろうと、おぼつかない手で地面に手を突っ張った。ぶるぶるワナワナと震える手で地面を支え上半身を起こした。
 前のめりに正座するように片方づつ膝を引き付け、上半身を起こした。そのまま立ち上がろうとしたが、おぼつかない。
 一見非情なようだがこういう時、私は基本的に手を貸さない。自分で出来る人、自分でやろうとしている人には手を貸さない。お爺さんは自分の力で一生懸命立ち上がろうとしていたのだ。そんな人に手を貸すなんて失礼な事は出来ない。
 おじいさんは両手を突っ張り、四つん這い状態になり立ち上がろうとした、がよろけた。ここで私は支えた。再び転ばぬよう手を貸し、支えた。
 最初は、そんなモン要るかとばかり、嫌がるように私の手を払いのけようとしたが、途中から私の手を支えに立ち上がった。
 お爺さん80歳くらいだろうか。

 何故か老人の手には、・・・・・入れ歯が握られていた。
(何だ?入れ歯を拾おうとしてそのまま転んだのか?)

 よろよろと覚束ない足取りなので体を支えたまま聞いた。
「大丈夫ですか?」
「ハアハアハア・・・アァ・・・・イャ・・・・・はやく・・・・歩いて・・・・・・いたら・・・・・ハアハアハア・・・・・・」
「エェ」
「ハアハアハア・・・・・・・息が・・・あがっちゃって・・・・・イャ・・・・・何でも・・・ハアハア・・・・・無いんだ・・・・けど・・・・・」
(あのよたよた歩きは、おじいさんの早足だったのか・・・・・)
「ハアハアハア・・・・・・・・足が・・・・・もつれて・・・・・」
 早足のせいかお爺さんかなり顔が紅潮している。
「酒飲んでんのぉ?」
「ハアハア・・・・イヤ・・・・」
「ホント飲んでない?」
「ハア・・・イヤ・・・・・・・ちょっと息が・・・・・。フゥーーーーーーーー」

 私は横から顔色と目の奥を覗き込んだ。
 強がっているわけでもなさそうだ。

 深い呼吸を一つつくと、お爺さん足元がしっかりしてきた。
 おじいさんは、私の手を振り払い一人で立てるところを見せた。
(大丈夫かな・・・・・)
 よろけた。再び手を貸すと、一瞬握った私の手をサッと離し、
「イヤ・・・・大丈夫です・・・・・速く歩いていたら・・・・息が上がっちゃって・・・・・・」
(息が上がったからって、ドサッは無ぇだろドサッは。それも顔から・・・・心臓に穴でもあいたんじゃないの・・・・・・大体なんで入れ歯握ってんだよ)

 箱根駅伝で、タスキを渡した後倒れこみ喘いでいる選手は芝居臭くて不愉快だが、どうやらおじいさんは真実そのような状況だったらしい。

 爺さんの真実、酸欠。
 酸欠爺さん無事蘇生。
 徐々に呼吸と意識のしっかりしてきた酸欠爺さんは、格好悪いところを見られた気まずさから早くそこから立ち去りたいような素振りを見せ始めた。

「どうも・・・・・すみませんでした」
「イェ」
 一息つくと、
「ウムッ」
気合を入れて、酸欠爺さんは歩き始めた。
(オイオイ、大丈夫かぁ?またすぐ倒れるんじゃねぇのか)
「ゆっくり歩いた方がいいですよ」
酸欠爺さん反応せず。
 離れ行く酸欠爺さんの背中にもう一度声を掛けた。
「ゆっくり歩きなよ!」
酸欠爺さん反応せず。
(バカヤロ、今度倒れてても無視するぞジジイ)

 酸欠爺さんは、振り返らずに去った。
 私は、しばらく酸欠爺さんの後姿を見送った。
(大丈夫か?)
(ま、爺さん何も無くてよかったよ)
(ホントは、入れ歯拾おうとして転んじゃったんじゃないの)
(でも、かなり息上がって顔面紅潮してたっけ)


 足取りはよたよた歩きではなくゆっくりしっかりとしたものだった。
(ちゃんと聞こえたか?)
 私は、酸欠爺さんが豆粒くらいになるまで後姿を見送った。
 もう心配する必要は無さそうだった。

 私は踵を返し下流に向かって歩き始めた。

 私は、人助けをしたような、ちょっと良いことをしたような気分になっていた。と同時に、どんな行動をするか神様に試されていたのでは?というような気分にもなっていた。



 実際、酸欠爺さんは、声を掛けた時ハッという感じで起きたよな。
 声掛けられなかったら、そのまま逝っちゃってたんじゃ無いの。何てことも考える。

 ただ、酸欠爺さんにとって何が幸せなのか私は分かっていない。



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