2月11日、正道日本拳法協会・最高師範、森良之祐(もりりょうのすけ)氏死去。 享年81歳。 私は、いくつかのスポーツ、武道を経験しているが、根幹にあるものは日本拳法である。 Soul武道と言いましょうか、Soulスポーツとでも言いましょうか。 好きで始めた訳ではないし、今好きか?と問われれば迷わずハイと答えるかも疑問である。 大学に入って歓誘され、面白そうだからやってみて、いつの間にやら私の人生のかなりのパーセンテージを占めているような観がある。 現在の日本拳法の組織図がどのようなものなのか、私は知らない。 私が学生の頃は、日本拳法協会というのが関東唯一の組織で、関西、中部方面とは交流が殆どなかった。 今は、日本拳法連盟という組織が全国的な団体で一番大きい組織のようだ。 森良之祐氏は、当時関東唯一の組織、日本拳法協会を作った人物でありそこの最高師範で在った。 関東に日本拳法を普及すべく東京にやってきた徳島県出身の男である。 だが森良之祐氏は、人格的に人を寄せ付けない観があり、離脱、分裂者が続出。最後は、正道日本拳法協会・最高師範という肩書きで、組織は小さなものだったらしい。 私も氏とは、何度か衝突した。 しかし、その拳法技術はやはり突出したものがあり、学ぶべきところをたくさん持っていた人物である。 自衛隊の徒手格闘を創り、警察逮捕術の考案研究者の一人、と言えば想像がつくのではないだろうか。 大学拳法部の監督をやっている時、構えている学生を前にして、 「自分の重心が何処にあるか意識するんだ。そして地球の重心が何処にあるか想像するんだ。常に自分の重心と地球の重心が糸で繋がっていることをイメージして動くんだ」 こう言ったら、 「小野は、森最高師範みたいな教え方をするな」 と先輩にいわれた。その時は、 (え、森さんと一緒って?) と思った。 森氏が、私にそんな抽象的な言葉を使った事は無い。 しかし、森氏に直接拳法のイロハから叩き込まれた先輩は、私の言葉を聞いてそう思ったようだ。 直接指導を受けた事は数えるほどしかないが、知らずに私の毛穴から森さんのエキスが沁み込んでいたのかと、後で振り返ってみて思う。 初めて森氏の動きを目の当たりに見たときは、その凄さに驚いたものだった。 大袈裟な言い方をすれば、動きが見えない。 眼にも留まらぬ速さと言って過言ではなかった。 当時19歳の私は思った、 (このジジイ、実は凄い) 時として、武道家は人格を伴なわない凶器の側面を持つ。持たねばいけない。 しかし平時は、漣ひとつ立つ事の無い湖のような人格者たらねばいけない。 私は、武道で生計を立てたり武道にかかわっているわけでは無いので、自分の事を武道家だとは思っていない。 しかし、武道家の精神は持っているつもりである、いや持とうと目指している。 そんな考えも、森さんのエキスだろうか。 森良之祐最高師範に合掌。 |