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2005年02月25日(金)・「マリリン・モンローの唇」
 私は今、小田原のファッションビルの一階入り口の所でお好み焼きの実演販売を行っている。
 目の前を沢山の人々が通る。
 沢山の人が、お好み焼きなどには目もくれず、私の目の前を通り過ぎる。通過する。
 お好み焼きの売れ行きがあまりよくないので、私は通る人をあたかも定点観測しているようだ。
 俳優小野明良の人間観察には大いに役立つかもしれないが・・・。


 その入り口は、デパート等によく見られるような透明な分厚いガラスのドアだ。

 タタミ一畳半程の大きなガラスドアが二枚で一組、観音開きになる。
 ガラスドアの真ん中辺には、ピカピカ光る銀色の取っ手。
 そしてその観音開きの分厚いガラスのドアが、ダダダダっと4対横並びにお客様を待ち構えている。
 客はどれでもいいから、その重量感たっぷりの分厚いガラスのドアを、「よいしょっ」とばかり押し開けて中に入る。
 帰るときはまた、「よいしょっ」とばかり押し開けて出て行く。
 この「よいしょっ」と言う重量感が、デパートにお買い物に来たんだというお客の満足感の一部分を満たす。

 ガラスドアは90度開いたところで、止まるようになっている。
 外に90度でも、中に90度でも、閉まっている状態から90度開くとそこでぴたっと止まる。
 だから力強く押し開けるとそこまで達して、ドアが開いたままの状態になる。
 閉めようとすれば、軽い力で閉める事が出来る。

 ドアがずっと開きっぱなしの状態のこともたびたびある。
 そんなとき人は、ドアなど無いかの如く皆スーッと通り過ぎていく。




 5日ほど前の夕方5時頃。

「ゴンッ!」

 鈍い音がした。
 なんだ?
 音のした方向を見ると、65歳くらいの身なりの小奇麗なおばーさんが両手に荷物を持ち、閉まっている分厚いガラスのドアの前に立っている。
 そのおばーさんは、2秒ほどそこで立っていたが自分の目の前のドアを開けようとはせず、隣の開いているドアの方から店外へと出て行った。

 今の音はなんだったんだろう?
 私は音の原因が分からなかった。

 だが・・・・・・。
 いや。
 ちょっと・・・待て。
 何か・・・・・・変だぞ。
 おや。
 おばーさんのメガネがずれている。
 左の方が目からはずれホオ骨の所で引っ掛かっている。
 おばーさんは、その状態でドアから出て行った。

 そして。
 2メートルほど歩いた所で再び立ち止まった。

 おばーさん今度はガクっと右膝を付き、両手の荷物を足元に置き、左の手でずれたメガネを直しながら、顔を押さえている。

 あれ?
 ひょっとして・・・。
「!」
 そうか。
 おばーさんは。
 分厚いガラスのドアに激突してしまったのだ。
 閉まっている分厚いガラスのドアが開いているものだと思って、そこから出ようとしたのだ。

「恐怖の透明分厚ガラスドア」

 痛かっただろーに、痛かっただろーに。
 大丈夫か?おばーさん。
 漫画とかドリフのコントではよくありそうな事だが、こういった事は現実にも起こるのだ。

 おばーさんは分厚ガラスドアに激しく激突したものの、公衆の面前で間抜けな事をしてしまって恥ずかしいのと何のこれしきの事と言う感じで、気丈に振舞っていたのだ。
 そして何事も無かった様に出て行ったのだ。

 しかし、ドアを出て2メートルの所で事切れ、膝を付いてしまったのだ。

 近くを通る人は、なんだ?どうしたの?靴紐でも結んでるの?という感じで通り過ぎていく。
 皆冷たい。
 いや違う。
 冷たいとか言うのではなく、何が起こったのか何でおばーさんが膝を付いているのか、皆分かっていない。


 私は、実演販売のブースから出て、おばーさんに手を貸しにいこうとした。


 ところが次の瞬間、おばーさんはスクッと立ち上がった。
 一旦メガネをはずし、ブルブルっと顔を二三度横に振り、メガネをかけなおす。荷物をガシっと両手で鷲づかみに持つ。
 周りを見回すような事は一切せず、
「何かあったの?何か見た?なーんにも見て無いわよね」
と言わんばかりの気を最大限に発散させ、
「あーはずかしかった。でももう大丈夫っ!気のせい気のせい」
と言わんばかりの爽やかな顔をして、ズンズンズンと歩き去って行った。

 まるで、おばーさんは魔力で1分間ほど過去の出来事を消してしまったようだ。

 凛々しく立ち去るその姿を見て私は、
「オー」
と唸った。

 だが20歩ほど歩いて、おばーさんは気が緩んだようだ。
 ちょっとよろけていた。
 大丈夫かな?
 ちゃんと家まで帰れるだろうか。
 ま、あんだけの魔力を持っているなら大丈夫だろう。



 激突おばーさんは、見事な魔力で1分間の時間を消し去った。
 だが激突おばーさんは、やはり動揺していたようだ。
 何故なら、激突おばーさんはあるものを消し忘れた。


 それは顔。
 分厚ガラスドアに残されたおばーさんの顔。

 分厚ガラスドアには、激突おばーさんの唇の跡、くっきりと真っ赤な上唇と下唇の口紅が。
 分厚ガラスドアには、激突おばーさんの鼻の跡、ひしゃげた鼻の形の鼻の脂が。
 分厚ガラスドアには、激突おばーさんのおでこの跡、平たく広くおでこの脂が。


 一つの謎が解けた。
 先程の鈍い音、
「ゴンッ!」
の原因は、この分厚ガラスドアの激突痕が全てである。
 激突おばーさん、痛かっただろうに痛かっただろうに。
 かわいそーに。

 それにしても、激突痕から想像するに、激突おばーさんは物凄いぶつかり方をしたようだ。
 そんな訳は無いのだが、まるで顔を前に突き出してぶつかっていったような・・・・・・。


 そして激突おばーさんのデスマスクは、5日経った今も、何故か掃除のオバちゃんに消される事も無く分厚ガラスドアに残っている。
 実は、これも激突おばーさんの魔力のせいで残っているのだろうか。

 私は、激突おばーさんの激突痕を見るたびに、くっきり残った口紅の跡を見るたびに、あの有名な「マリリン・モンローの唇」を思い出してしまう。



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