第八西川屋。 この名前を聞いて分かる人がいるとしたら、その人は私にとって物凄い事情通である。 銀座新橋辺りに物凄く詳しい人である。 銀座辺りの料理人なら殆ど知っているであろう、その名前。 素晴らしい過去、いや素晴らしい歴史がある第八西川屋。 その素晴らしい過去とは、歴史とは? それは今から20年程前、私がまだ今より20歳ほど若かった頃の事。 私が、半年ほど第八西川屋で働いていたのである。 私が汗水たらしてアルバイトをしていたと言う輝かしい歴史があるのである。 実は大した事ではない。 ま、その正体は豆腐屋さんである。 銀座八丁目にある普通の街の豆腐屋さんである。 ただ本当のところ、第八西川屋の豆腐は美味いと評判が良かった。 豆腐が美味いと言う事は、薄揚げ、生揚げ(厚揚げ)、がんも、おから、焼き豆腐その他皆美味い。 近所の料亭や割烹小料理屋など、有名で大きな店から小さい店まで、銀座4丁目辺りから新橋にかけてのかなりの店がここの豆腐を使っていた。 多分それは、今でも変わらないと思う。 私は、それらの店に毎日豆腐を配達していた。 その仕事は、業務用の頑丈な自転車のハンドルの左右に、水を張り沢山の豆腐が入ったバケツを一つづつ引っ掛ける。 ハンドルの前にある籠にがんもとか油揚げとかを入れる。 後ろの荷台に板を置き、ハンドルに引っ掛けたのと同じバケツを2つ置く。 そのバケツの上にさらに板を置き、バケツをもう一つ。多い時は2つ。それをゴムのベルトで固定する。 その総重量たるや、どのくらいあるかといえば。 水を張った豆腐バケツは、軽めに見積もっても20kgはあるだろう。それを6個。 つまり、少なく見ても120kg以上の水と豆腐を乗せて、道のでこぼこに気をつけながら、朝の銀座をふらふらと走っていたのである。見た目はかなり重装備に見えたことであろう。 水物は実際の重量よりも、体感重量は重いものである。 朝、店を出るときの重い自転車のバランスを取るのは慣れるまで、イヤ慣れてからもかなり体力と集中力を必要とするものであった。 でこぼこにはまって自転車がガタンとなると、もろい豆腐は角が落ちる。ひどい時は、壊れてしまう。 だから当時の銀座の道の凹凸は、みな頭にインプットされていた。出来るだけ平らなところを走らなければいけないのだ。 それでも時々、ガタンとなってしまう事はあった。 そんな時、証拠隠滅のため壊れた豆腐を何もつけずに食べてしまう事もあった。西川屋の豆腐は美味しいからぺロッと入ってしまう。 お店はそんなことも計算して、いつも何丁か多めに豆腐を入れてあったので、私の証拠隠滅行為は、無駄で見え透いた愚行だったのは間違いない。 木綿豆腐は硬めだが、絹ごし豆腐は壊れやすかった。故に絹ごし豆腐をよく食べた。 そして一軒配達するごとに重量は軽くなり、最後には空のバケツを持って店に帰る。 30丁近く入った、バケツを引っくり返した事もあった。 一升瓶に入った豆乳を落として割って、みゆき通りに撒いてしまった事もある。 そんなことをやりながら、半年間私は朝の銀座を自転車で走っていた。 ところで私は、高級料亭とか高級割烹というところにいまだかつて自腹のお客さんとして入ったことは無い。 しかし、この仕事をしていたおかげで、ある時は裏から、またある時は正面から、堂々と、何処の誰よりも多く、数え切れないほど入店した事があるのだ。 だから、高級店というところに行ったことが無くても、高級店を知っている気になっている。 このカン違いは、高級そうなところに行っても平然としていられるという、良い効果をもたらしてくれた。 さらに私はここで働いた事によって初めて、豆腐に味があるという事を知った。 豆腐によって味が違う事を知った。 それまでは、豆腐は何処のどれを食べても同じだと思っていた。 西川屋の豆腐は、濃厚な豆の味がした。 醤油をかけないで食べて見ると、大豆の美味しい味がした。 働き始めた頃、女将さんが、 「小野君!うちの豆腐はね、国産の大豆しか使っていないから、日本人の口に合うんだよ!!」 「うちの水はね、30メートルも掘った深ぁーい井戸の水を使っているんだよ。豆腐は水が命だから!!!」 と自慢するわけではないが、ニコニコ話していた。 その横で無口な旦那さんが黙々と豆腐を作っていた。 当時豆腐が一丁80円の頃、第八西川屋の豆腐は100円した。ただし大きさも他より大きかった。 皆買いに来た。 午前中に配達を終えると女将さんが、 「小野君、今美味しい生揚げを揚げてあげるから、食べておいで」 といって、揚げたての生揚げを食べさせてくれた。 豆腐の水を押して切ってから揚げる生揚げ。 しかし実は、水を多く含んでいるほうが美味いのである。 揚げる時、はねたり崩れたりしないため、水を切る。 揚げた生揚げから、水がしみ出さないよう、水を切る。 すぐ食べない時の保存をよくするために水を切る。 女将さんは、油はねを覚悟で水を切っていない豆腐を揚げてくれた。 隣の八百屋さんから長ネギと生姜を貰ってくる。(実際つけで買っているのだろうが、「すみません長ネギと生姜下さい」と言うと、「持ってって」と言われて「これとこれ持っていきまーす」と言うだけだった。) 熱々揚げたての生揚げに、長ねぎを刻んで生姜をすって、醤油をかけて食べる。 いやー、美味かった事美味かった事。 私はこれより美味い生揚げを食べた事が無い。 第八西川屋の豆腐は私にとって日本一の豆腐である。 誰がなんと言おうと、日本一である。 記憶によって美化されている部分もあるだろう。別に良いじゃないか。 私にとって、どんな豆腐が出てこようが第八西川屋の豆腐を抜く事は無い。 これは私の中の絶対ランキングで、私の真実であって、人に如何こう言うものではない。 今日。 頂いた招待券で新橋演舞場に行ってきた。 演目は「あかね空」。 十朱幸代主演。共演、八千草薫、赤井秀和他。演出江守徹。 江戸時代の豆腐屋を舞台に描かれた作品である。 観劇中、私は第八西川屋が演舞場から徒歩5分位の所にあるのを思い出した。 この20年の間に何度となく演舞場に行ってはいたが、第八西川屋を思い出す事は無かった様に思う。 勿論、何らかの折に豆腐の話になると必ず第八西川屋は記憶の中からよみがえる。 新橋演舞場とか、銀座界隈の料亭の名前が出てくると、豆腐を配達していた当時のことを思い出す。 私は、演舞場の中のお店にも豆腐を納入していた。 しかし、いざ演舞場に足を運ぶと、西川屋のことを思い出すことも無く、劇を見終わるとそそくさと帰途に着いていた。 今日は、豆腐屋が舞台のお話だったため、終演後も西川屋が頭の中に大きく君臨していた。 午前の部終了後の午後3時半頃。 台風23号の大雨の中、私は第八西川屋の前を通ってみた。 道の向こうから見る第八西川屋は、昔と変わらないタタズマイを見せていた。 昔ながらの豆腐屋さん。 配達用のごつい自転車が2台、軒先に並んでいる。 今もきっと当時と変わらない配達方法なのだろう。 隣の八百屋さんはあるのか無いのか、台風のためか閉まっていた。 そして中を見ると、なんと中には当時と変わらない、作業をしている旦那さんの姿。 台風だろうが何だろうが、黙々と働くその姿は昔と変わらない。 旦那さんはいくつになるのだろう。やはり20歳年齢を積んでいるのは間違いないことなのだが、全然変わっていない。 私は、何故か嬉しくなった。 とっても懐かしく、無性に嬉しくなった。 私は、しばし旦那さんの作業している姿を見ていた。 時間にしたら10秒位のものかも知れない。 私は、台風23号の大雨大風の中、スキップをしているような気分で地下鉄の駅に向かった。 そういえば旦那さんに声を掛けようとか、そのときは全く思わなかった。 何故だろう。 勿論、私のことは覚えていないと思うが、声を掛けてみても良かったかなという後悔が少しある。 別に話す事も無いし、何を話すわけでもないが。 旦那さんと私の、寡黙な人間の気まずい空間が生まれて困ってしまっただろうか。 地下鉄の電車の中で私は色々思った。色々考えた。 日本一の豆腐を一丁買って帰ろうと思わなかったのは、何故だろう。 過去の風景に手を触れてはいけない様な、そんな気持ちだったような気がする。 今更私の中の世界一の豆腐を食べて、色々余計な事を考える必要は無いというような。 アルバムを開いても、写真は見るもので触れるものでは無いという様な。 自分の中に結論は無い。 あえて結論付ける必要も無いと思う。 なぜならあの瞬間、私は幸福感というか満足感というかそんな気持ちに満たされていた。 それだけで良いではないか。 それだけで。 |