あまい親や、ばかな親、増してや糞な親に育てられた子供というのは、糞ガキになる場合が多い。 糞ガキになってしまった子供というのは、一種被害者なのだろうか。 引きこもりとか精神的な疾病に陥った被虐待児童というのが、社会的問題としてよくクローズアップされるが、その逆側と言って良いところにいる無躾(むしつけ)児童も社会問題といって良いのではないだろうか。 躾けられていないから、社会ルールがわからずに孤立していってしまう。これは成長して大人になっても変わらない場合が多い。 自分の行為が非社会的だという自覚がないから、注意されたり怒られたりすると、必要以上に自分を擁護してくれるばか親の所に逃げる。いわゆるマザコン。 母親の元に逃げるだけならまだしも、怒られたことが無いからどう反応していいか判らず、逆切れといって自分を見失う事もある。 ばか親はばか親で、 「あの人が怒るから、やめなさ〜い」 と言う。 ちゃんと 「それは、いけない事だから止めなさい!」 と言わんかい!! 大体こういう糞ガキの親に限って、 「なんでうちの子をしかるのか」 と、食って掛かってくる。食って掛かってこないまでも、あからさまにそういう目を向ける。 親が社会ルールをわかっていないんだな。糞大人、糞親。いわゆる子離れできない親。 糞ガキがそのまま大人になり糞大人になる。 糞大人が結婚して子供を生んで糞親になる。 糞親が子供を育てるから糞ガキになる。 こうして糞族の種は繁栄していくのだ。 結婚という異文化の交流によって、お互いの足りないところを補い学習しあって行けばいいのだが、なぜか人間国宝や無形文化財でもないのに「糞」の部分がしっかりと継承されていってしまう。 確かに、やってはいけないと言われる事を犯す快感、ルールを破る開放感という感性が、人の心の片隅に存在するのも認める。私なんかそういう感性の塊りかもしれない。 しかしその欲望は、社会生活を希望するなら表現を規制される。 飲食店を営んでいると、 「客なんだから偉いんだ」 「これくらい良いだろう」 「旅の恥は掻き捨て」 「子供なんだからいいだろう」 「注意されるまで良いや」 「たかだかこんな店で」 という考えに基いたマナーの悪さ、ルール違反が見うけられることがある。しかしどんな理由があっても認められるものでは無いし、通用しない。 規制されることを拒否するのなら、孤島にでも行って暮らせば良いのだ。 ただそこには社会ルールどころではない、自然界の厳しい掟が待っているだろう。 ま、糞族は、ルールを破るとかそんな次元ではなく、ルールを知らない場合も多いのだが、、、。 なぜ今更再びこのようなことを、うだうだ言うかといえば、アホな親が多いからである。 お好み焼き屋を経営しているとしばしば、先天性非常識一家に出会ってしまうのである。 客商売をやっていなければ接点を持たずにいられるかも知れないが、私はお好み焼き屋なのだ。 飲食店のストレスはここにある、といっても過言では無い。 実際こういう部分が嫌で飲食業を敬遠したりする人も多い。 以前から私は言っている、 「親ばかは許すが、ばか親は許さん!」 今日は、糞ガキに言う。 「お前を育てた親は糞でも、お前は糞になるな!お前の人生だぞ」 ところで俺の店ではお客様に感謝しつつも、年齢職業に拘わらず目に余る行為は注意します。 新宿で営業していた頃からそれは変わりません。 こういう注意の対称になるお客様って、全体の割合から行くと1パーセントもいないンだけどね。 自分で自分を律することが一番大事な事なのだ。 それを出来る人が、世間一般から大人扱いを受けるのである。 自分を律することが出来ない人間、努力をしない人間は、いくつになっても年齢に関わらず糞ガキと言われるのだ。 わしは糞ガキを許さん! しかし、それ以上に腹立たしいのがその背後に見え隠れする「あま親、ばか親、くそ親」である。 日本の未来は大丈夫か!! |