生との戦い。 死との戦い。 私が知る限り、ありとあらゆる生物は生まれた時から死へ向かって走り続ける。 入院している親戚のおじさんの意識が無くなり、もう持つか分からない。 昨日、連絡が入った。 親族中から私とそっくりといわれるおじさん、70歳ちょっと。 父、母、カミサン、私で病院に見舞いに行った。いや、今となってはお別れに行ったと言う方が正しいかもしれない。 「一般面会は午後からです」 「―――危篤だと言われて来たのですが」 受付の守衛さんは、病室を教えてくれた。 病室には家族が揃っていた。皆疲れている。奥さん、長女と旦那、次女。 「おじさんは?」 「今、痰の吸引をしているから、ちょっと待ってて」 外で終わるのを待つ。 「もう本人じゃないみたいだから、びっくりしないでね」 と私と同い年の長女。 痰の吸引を終えた病室に入る。 おじさんは目をつぶり呼吸器を付け、苦しそうに、あえぐ様に息をしている。 しかし苦しそうに見えるその姿は、マラソン選手がゴールを目指して最後のラストスパートをかけているかの如く、見事なものだった。 人によってはその姿を見て、死が迫った人の足掻きと捕らえる人もいるだろう。 だがその姿は見事だった。 素晴らしかった。 生きる事をあきらめず、必死に頑張っている姿は、どんなスポーツ選手よりも美しいものだ。 私は心の中で、 「おじさん、頑張れ!最後まであきらめるな、生きる力残っているだろ!!」 と呼びかけた。 「おう、まだまだあきらめないぞ!」 私の心に明るい声で、返事が返ってきた。 兄である父が声を掛け、手を握る。 奥さんが、 「あなた分かる!お兄様よ、お兄様!!」 意識が無いとばかり思われていたおじさんは、かすかにうなずき呼吸器を取ろうと手を挙げようとする。 「動かなくて良いから。分かる、分かるのね!」 再びうなずくおじさん。家族の中に驚きが走る。 「分かるのよ、分かるのよ」 呼吸器を取って何か喋りたかったのかもしれない。 今まさに死と真正面から向き合っているおじさんは、不屈の闘志で戦っていた。 生と戦っているのか、死と戦っているのかどちらなのか。 おじさんは、完全燃焼してゴールする事を目指しているかのごとく何かと壮絶に戦っていた。 蒸気機関車の罐(かま)に石炭を放り込み続けるように、エネルギーを燃やして走っていた。 その姿は、苦しくも美しく、弱々しくも揺るぎ無い。 おじさんは戦っていた。 必死に走り続けていた。 見舞いから帰った約12時間後。 午後11時半ごろ、おじさんが息を引き取ったと連絡が入った。 おじさんは、最後まで諦めなかった。見事に戦い続けた。 最後まで走り抜いた。 死因は、肝機能障害から来る、多臓器不全。 おじさんは大酒飲みだった。 しかしその人生は、悔いの無い人生だったと私は確信する。 |