トップ・ページ一覧前ページ次ページ


2003年09月28日(日)・「原辞任」
 プロ野球読売巨人軍の原辰徳監督が辞任した。
 昨日の新聞に記事が載っていたから、一昨日9月26日の発表だ。まだシーズン中で試合は残っているというのに。
 以前から色々憶測の混じった記事はマスコミが流していた。

 昨年の優勝監督。
 しかし今年は、優勝争いにも絡めず低迷。
 そんな中でフロントと言われる球団の人々が、あーだこーだと騒ぎ出し不協和音を奏で、原監督も感情的に譲れない部分が出てきて原監督なりの筋を通したようだ。
 世間は、渡辺恒雄オーナーや球団サイドのやり方に批判的だ。

 私はこの一連の流れをこう捉えた。
「巨人軍は、今年松井秀喜選手の退団や主力選手の故障などにより大幅な戦力ダウン。昨年の優勝監督も今年は成績低迷により責任問題、進退問題等が取り沙汰されるようになってきた。 今まで原監督に全て任せていた事柄にフロントが介入し、ベテランコーチの導入や戦力補強を行って行こうと方針転換した。しかし原監督は自分で全権を持って今まで通りチームを引っ張って行きたい。  こんな流れの中でフロントサイドも監督も譲らず、オーナーの裁定はフロントサイドのやり方を取る。原監督は自分のやり方を通せないならと辞任。辞任というよりは、フロントのいうことを聞かない監督なので解任されたというニュアンスの方が強い。」

 私は、現場を知っているわけではないので報道されたものから類推しているに過ぎない。
 しかしそう大きく外した捉え方でもないと思う。

 指揮官に対して、方針決定後の参謀は余計な口出しをするべきではなくサポートに回るべきだ。
 しかし指揮官が結果を出せないため参謀が現場にしゃしゃり出てきて指揮官と対立してしまった。
 どうするかということになり将軍が指揮官の首を切ってしまった。
 そして参謀の意に沿うであろう次の指揮官、堀内恒夫氏を後任に据えた。
 そういう図式に近いのではないだろうか。
 参謀がしゃしゃり出てきたのは、将軍の命令だった節もある。

 結果を出せないという側面だけ捉えると、確かに今年は出せていない。
 原因を考えて今後戦力補強して再布陣を敷き来年に臨む。
 それが正しいやり方だと私は考える。また原監督もそうするつもりでいたに違いない。
 増してや、原監督と球団の契約はまだ途中だったのだから。
 現場を知らない人間が権力を持つと、時として滅茶苦茶なことが罷り通ってしまうものだ。

 昔から分かっていた事ではあるが、「読売巨人軍」はオーナーのおもちゃなのだな。それでいいじゃないかと言う人も居るかもしれないが・・・。
 オーナーの気まぐれで翻弄される選手はじめ現場は、可哀想だ。しかしゴタゴタの中からチャンスを貰う人が居るのも事実ではある。
 だがその事も、筋を外した行為の上に積み重ねられていくと言うことを忘れてはならない。

 近頃野球にはあまり興味を示さない私だが、この原監督辞任劇で久々に野球の方に目が向いた。
「無理を通せば道理が引っ込む」



俺の話
 なぜこの原監督辞任劇に私の目が向くかといえば、それは5年ほど前の私の立教大学日本拳法部監督解任を思い出させるからである。
 人生において、
「ハラワタが煮えくり返るほどの思い」
という表現が当てはまる経験の一つだった。

 その後の報道等を見ていると、本人は口に出さないものの原監督も相当不愉快な思いをしたようだ。会見のときには悔し涙と思われる涙を浮かべていた。
 世論や報道は100%原に対して好意を持ち、球団サイドに批判的だ。
 私の時も、事の顛末を聞く機会があった人間は皆、私以上に怒っていた。

 私と原監督が置かれた状況はまったく違う。しかし現場を知らない人々、もしくは中途半端に現場を覗いている人々の介入が物事を混乱させるという部分に置いては一緒である。
 間違った決定であろうが、決定はそのままの路線を進むことになり「もしも」続投していたらという事は論じてもしょうがない。
 そして何事も無かったかのように、時は流れて行く。


 原監督は、巨人軍顧問として読売グループに結果として残った。
 多分読売グループに残るために、自ら辞めるという辞任を飲んだ。受け入れた。
 生活のための選択だろうから、残念ではあるがその行為は否定しない。
 しかしこのことは、ナベツネ・オーナーの、
「今回のことは、読売グループ内の人事異動だ」
と言う発言を肯定してしまうものだ。
 経緯はどうであれ原監督が自ら辞任受け入れ意思を表明したなら、感情的発言や行動は控えるべきものである。実際そうしている。騒いでいるのはマスコミ始め外野だけかもしれない。
 しかしその結果にいたるまでの、人の道を外したような行為が罷り通ってしまった事については、周りの人々は見逃してはならないと思う。


「店が忙しいことにして、監督を辞めてくれ。お前を首にするとOB会が揉めるから」
「私を解任、更迭したいなら勝手にやってください。私は辞任しません」
 私はOB会による監督辞任要求を突っぱねた。
「なめるな!」

 今ここで私の解任について細々と書き連ねることは控えておくが、私の立教大学日本拳法部監督解任について真実を知られることを恐れている人たちは、自己正当化のために多分私に否を負わせるという形でまことしやかな理由を並べているだろう。
 人は、自分を正当化するためには他人を犠牲にする生き物である。自分の保身のためには己の信条や筋を曲げる生き物である。
 私は、そうは成りたくない。


 時間という流れが物事を風化させてしまう前に、私は欺瞞や詭弁と戦うべきかも知れない。
 私の真実と正義の存在を証明するためにも。

 正直言って、なぜ白黒はっきりさせるまでOB会と戦わなかったのかと言う後悔もある。
 一部OB会の愚策を私が突っぱねてその案件を終わらせるのではなく、OB総会の場まで議論を持っていけば良かったのではなかったか。実際そう提案したが何だかんだと理由をつけられてこの案はうやむやにされた。

 まだ熟していない青い実なのに、実って来たら欲しがる者もいる。
 監督をやりたい人がいるなら私は争わない。その人が監督をやればいい。
 しかし監督を引き受けたからには途中で放り出さず、最後まで遂行する。と言う使命感が私には強くあった。


 最弱のチームからスタートしたが、新人戦準優勝と少しずつ結果を出しはじめていた。

 しかし練習が厳し過ぎる。と、OBから過保護の馬鹿親のような難癖もつけられた。
 練習をせずに強くなる方法を、私は知らない。
 あらゆる競技で、練習をせずに強くなった人やチームを私は知らない。
 楽な練習で強くなる方法を私は知らない。
 楽しい練習で強くなる方法はある。しかしその練習は当然厳しさ激しさを伴う。


 私が監督に就任した当時の拳法部は、腐りきっていた。
 部員個々の人間性とか言うものではなく、部の体質がである。
 学生という原石を磨く場所では無くなっていた。
 挨拶すらろくに出来ず、練習方法も出鱈目。
 活気の無い、暗いどんよりとしたムードの部全体。
 試合で負けてもヘラヘラ笑っている感性。

 一体こんなチームに誰がした!

「学生を見ていると、わしの子供と同じくらいの連中ばかりでな。厳しくするのはかわいそうじゃよ」
「小野監督に対する不満は俺に言え。わしが監督に言ってやる。監督だって人間だから間違えることがある」
と、当然のように学生にいうOBの存在。
 人は、楽な方へと流れる。

 OBも学生も、強い立教拳法部そして拳法部学生自治体制復活確立という目的に対する理解欠如から来る無思慮な行動。

 私を駆逐することで達成感を満足させた人間も居るかも知れない。


 そんなOBから学生まで、全てを含めて是私の監督責任なのだな。
 今は、そう思えるようにもなった。


 私は立教大学日本拳法部とは縁を切った。
 今更考えて何になる。

 監督解任されて以降沈黙してきた私ですが、そんな事を考えさせられる原辞任劇でした。


 ある意味、こういう馬鹿な騒ぎというのは大なり小なりよくある事なのだな。
 人は自分が当事者にならないからピンと来ないだけで。

 法を犯していないから公に問題視されない事でも、人は筋道を外してはいけないのだ。
 悲しいかな深く考えもせず、人生悪役を演じている人の多いこと多いこと。
 自分は悪くない、自分は正しいと誤解している人の多いこと多いこと。
 自分の行為を肯定するために理論武装している人の多いこと多いこと。
 悪に徹する勇気やあきらめも無く、善の仮面を身につけている人の多いこと多いこと。
 人はどこか知らん自分に当てはまるだろう。
 しかし、天は見ている。
「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」




 私の監督解任更迭について拳法部サイドは、解任とか更迭とか辞任という言葉を使わず「交代」と表現していた。
 私が辞任した(自ら辞めた)と嘘を言う度胸も、解任更迭したと言い切る根性も無かったようだ。

 あらゆる面で私は「立教大学拳法部」に失望した。


 しかししかし、
「人間万事塞翁が馬」

 小事にとらわれて、人生を誤るまい誤るまい。
 今でも私と付き合いのある拳法部出身者は、皆私の偉大なる財産ではないか。
     


トップ・ページ一覧前ページ次ページ