小野明良が新極真空手をはじめました。顔面突き無しという試合ルールに戸惑いはありますが、順応していければと思っています。
 私は、かつて日本拳法という武道をやっていた。突き、蹴り、組み打ち、寝技、関節技、有りという、今で言う総合格闘技と言われるものに近い武道だ。【自称】私は強かった。しかし今は何もしていない。  その昔ストリートファイト【自称】世界一を誇った私も、体力の衰えを感じる昨今。子供が通っている新極真空手に入門する事により、自分に挑戦をしてみる事にした。

 人間が決して逆らう事の出来ない老化。その自覚と、それへのささやかな抵抗を試みるのである。
 

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2004年03月27日(土)
 今日、子供の通っている新極真空手の道場に体験入門してきた。
 運動不足解消のために、通うかな。

 指導員は好青年で、いびられる事もなさそうだ。
 陰湿で威張り散らしているような奴だったら、という懸念は本人を見て消えた。
 ま、変な指導者だったら子供は通わせていなかったろうが。
 とにかくN指導員は、中々の好青年だな。

 久々の運動は、子供達と一緒のクラスという事で、キツイというものではなかった。
 これくらいの運動から入るのはちょうど良いかも知れない。

 昔、15、6年前。
 極真空手に半年ほど通った事があったが、その時のI指導員が今は支部の師範らしい。
 その時は、転居等で続けられなかったが、その時の指導員が今でも頑張っているというのは、なんとなく嬉しいものだ。

 極真空手がつい一年ほど前分裂して、極真空手と新極真空手という組織が出来たとの事。
 昔の田岡組長没後の、山口組と一和会のようなことらしい。
 大山倍達没後の、極真の跡目争いがこじれたようだ。
 道場に通っていた子供は、何やら知らないうちに極真から新極真に変わっていた。

 ま、俺はそんなこととは関係なく、子供を通わせていた道場に行ったまでだ。

 今日は、心地よい汗が流せた。
 来週もやってみるかな。

 指導員のN先生は満面のニコニコ顔で、
「よかったら、また遊びに来てください」
 そう、俺は月々税込み9450円のお客様になるかもしれないのだ。

2004年04月03日(土)
 二度目の体験入門。

「こんにちは、今日もやらせてもらっていいですか?」
 N指導員、満面の笑みで、
「あ、どーぞどーぞ」
 そう俺は、月々税込み9450円のお客様になるかもしれないのだ。

 今日も子供と一緒にトレーニング。
 良い汗が出る。
 近頃俺は太り気味だ。いや以前に比べてかなり太った。体が重い。
 重くなった上、かなり硬くなっている。
 腹の肉が邪魔で蹴り足が上がらない。

 ゆっくりリハビリして、体を慣らしていこう。
 怪我をしないように気をつけなくては。

 N指導員、風邪で体調が悪いようで、ゴホゴホ言いながら教えている。
 一人の子供が練習中、
「先生、トイレ行っていい?」
「あー、ちょっと待て」
と言って大人に移動稽古の指示を出して、自分が先に5分程トイレにこもってしまった。腹の調子も悪いようだ。出て来てから子供に
「いいよー」

 その十分後に
「ちょっとスミマセン」
再び大人に指示を出して、今度は3分位姿を消した。

 練習が終わる時、好青年のN君、
「今日は、体調が悪くてスミマセンでした」
と謝っていた。
 何の商売でもそうだが、人様からお金を頂くのは大変だ。

 練習後、
「先生、続けてみようかと思うんですが、どういう手続きをしたらいいんですか?」
 N指導員、風邪ですぐれなかった表情が、にわかに明るくなり、
「あっ、そうですか!やられますか。ゴホゴホ、エーー、あのですね、それでは入門申込書を書いてきていただいて・・・・ゴホゴホ・・・・」

 営業マンに変身したN指導員から一通りの説明を受け、
「じゃ先生、宜しくお願いします」
「こちらこそ。頑張ってください」

 私は新極真空手に、通う事にした。

2004年04月10日(土)
 今日で3回目。N指導員の体調は、戻っているようだ。
 週一の稽古は少しづつ体が慣れてきた感はある。しかし自分で自分の体が重い。
 前二回はジャージでの参加だったが、今日からは空手着。パリパリだぶだぶの、まだ糊の落ちきっていない空手着だ。
 先週入門手続きのことを聞いたら、お金は後でいいですからと三日後に子供経由で空手着が届いた。お客の囲い込みも抜かりは無いようだ、新極真空手。

 なにやらカラフルな帯の人が一杯いるが、新極真空手の帯色は、白ーオレンジー青ー黄ー緑ー茶ー黒、と上がっていくようだ。
 おれは白帯だ。これも気分が新鮮になって中々いいかもしれない。これから上がって行くというのは楽しみだ。

 練習後、入門申込書を提出。
 これで俺も晴れて新極真空手正式道場生。月々税込み9450円。
 オス。

2004年04月17日(土)
 自分の体がこれほど思い通りに為らなくなっていたのが分かっただけでも、新極真空手に入門した価値はあったと言っても過言ではないかもしれない。
 44歳と6カ月、気持ちは若いつもりでも、肉体は確実に衰えている。

 しかし、そろそろ体重が減り始めてもいいと思うのだが、一向に減らないな。
 逆に、食い物が美味く感じて、体重増加傾向にある。
 食欲を抑えねばイカン。

2004年04月24日(土)
 俺より家を早く出る長男が、俺より道場に着くのが遅いのは何故だ。
 俺より10分位前に出ているのに。

 今日練習中に、オレンジ帯のYaさんの蹴り足を掬って足払いで倒したら、腰から落ちてめげていた。かなり痛かったようだ。
 後でよく考えたら、オレンジ帯というのは白の一段上なだけで、初心者に近いのだと気付いた。
 なにやら帯に色が付いていると、それだけで相手が大先輩の気になっていたが、俺と大差ない初心者なのかもしれない。
 N指導員は、
「足掴んだら反則ですから」
 掬っただけで掴んでないというのが私の言い分ですが、Yaさん御免なさい。

 好青年のN指導員は、入門決定後も豹変することなく好青年だ。イキナリ威張りだすような事も無く大変宜しい。
 今どき態度の悪い指導者なんて居たら、みんなすぐにやめてしまうだろうな。

2004年04月28日(水)
 すこし体も慣れてきたので、夜の稽古に参加した。週二回は体力的に持つかちょっと不安はあるが、水曜日はお店が休みなので体が空いているときは参加しよう。
 7名ほどの参加者。一般クラスで、子供はいない。子供がいないのは寂しいが、人数的にはやり易いかもしれない。

 稽古で気合を入れた声を出すのは、それだけで気持ちが良いな。
 疲れるがストレス解消になる。
 型を覚えるという作業も、脳みその老化を防ぐには良いかも知れない。まだ全然覚えていないが。少しづつ覚えねば。

2004年05月01日(土)
 先週足払いで倒した、Yaさんが来ていない。娘さんは来ている。
「パパは?」
「腰が痛いから、お休み」

 あちゃー。重ね重ねYさん御免なさい。

 そういえば今日、茶帯のAさんに、
「小野さんお幾つなんですか?」
と聞かれ、
「44歳です」
と答えたら、イキナリ
「オス、失礼しました。自分てっきり老け顔の32歳位かと思ってました」
と言われた。別に謝ってもらう事では無いと思うのだが。

 老け顔の32歳という事は、若く見られたという事か?
 Aさん、36歳。
 Suさん、36歳。
 Saさん、35歳。
 Yaさんも含めて皆さん私同様、子供と一緒に通っている。カミサンに聞いたらSaさんの子供は、うちの子と同級生なのだと。
 
2004年05月06日(木)
 昨日は祭日のためお店を臨時営業して、今日代休。
 稽古に参加する事が出来た。

 普段の週より一日多く働いたせいか、自分で思っていた以上に体が疲れていた。
 やたら息が上がる。これも歳か。
 N指導員、ニコニコ顔で、
「大丈夫ですか、ついてこれますか?」
「ハァハァハァハァ、―――なんとか」

 大体、騎馬立ちなどという、構えを考えたのは誰だ。
 長い間かかって残った構えでちゃんと意味があるのだろうが、こんな疲れる構えは廃止だ。足腰が強く成りそうなのは分かるが・・・・・しんどい。


 カミサンを呼び出し、近所のお店で一杯。
 練習後のビールは吸い込みが早く、酔いの回りがいつもより早い。
 焼酎も水のように入っていく。
 つまみも美味い。

 あ!
 だから、体重が減らないんだ。


 そういえば、自由が丘の私の店「良久」から5分ほどのところにある、「味誠」という居酒屋が今月一杯で閉めてしまう。
 西小山に移転するらしい。
 そんなメールがTa君から来た。
 ここの若き大将Ta君も、やはり親子で新極真空手に通っている。
 遠くに行ってしまう訳ではないが、近所から離れてしまうのはちょっと寂しいな。

2004年05月08日(土)
 子供の授業参観に行ったら、Saさんも来ていた。
 そうそう子供が同じクラスなんだった。
 授業参観の足でそのまま道場に行ったら、今日は子供から大人まで30人位居た。
 にぎやかで、これも良い。勿論うちの子は学校。

 先々週俺のせいで腰を強打したYaさんが来ていた。良かった、良かった。
「腰、大丈夫ですか?」
「オス、何とか」

 スパーリングの時、茶帯のAさんが受けてくれているのを良いことに、調子に乗って足払いで倒した。なぜかその時の映像が後ろのほうではあるが残っている。(N指導員撮影)
 Aさんは、
「ウマイ」
と言って褒めてくれたが、内心怒ってないかな。次回仕返しされそうでヤバイヤバイ。


 N指導員は、俺が息を切らしていると、
「大丈夫ですかー!?」
と言いつつ、
(おっさん頑張れよー)
と言わんばかりに、ニコニコ笑って嬉しそうに見ている。
 イヤイヤ実際のところ、稽古を週2回に増やしてから、結構きついな。


 夕方からお店。稽古をしたその日の仕事より、翌日の仕事のほうがきついんだ、なぜか。
 多分単なる歳のせい。

 お店が終わってから、「味誠」に寄った。Ta君、やはり自由が丘は閉めて西小山に移転するとの事。
 自由が丘は家賃が高いんだ。俺もキツイよ。


 味誠のMa君と
”様々な競技で、代表は予選で決めるか、選考会で選ぶか”
で大議論。
 俺、予選派。Ma君、選考会派。

 俺は、選考会と言うものが気に喰わない。
 訳知り顔の長老、馬鹿OB、間抜け委員とか、カン違い権力者が、密室で雑談。
 自分がこれだと思った選手を正当化するために、なんだかんだとお話をするらしい。

 Ma君曰く、
「本番で、一番力を出せそうな選手を選ぶべきですよ」
俺、
「いや、予選を開いて勝者が行くべきだ」

 正直言って、若いMa君が選考会支持だと言うのは驚きだった。
 俺は、選考会と言う手法は、変わらなければいけない日本の悪習だと思っていたから。

「お愛想をしてくれ」
と言ったのに、お愛想がされない。会計伝票が来ない。Ma君の陰謀だ。
 議論は尽きることなく、勿論両者ゆずらず水入り。続きは次回に。
 AM3:00過ぎ、ようやくお会計伝票が手元に来た。

 俺と、Ma君が議論している間、カミサンとTa君は音楽の話で盛り上がっていたようだ。
 一人取り残された、アルバイトの女の子はかわいそうに、眠そうな瞼を必死に持ち上げて立っていた。

2004年05月12日(水)
 お店は定休日。
 夜、稽古。
 週二回のペースはまだ体が慣れてこないから少しばかりキツク感じる。稽古内容がキツイというよりも疲労感が抜けない。もう少し頑張れば体も慣れてくるとは思うのだが。イカンセン若さに欠けるな。

 6月6日(日)に昇級審査がある。少しでも体力がある内に受けておこう。これからは衰えていく一方かもしれないからな。

 そういえば、聞くところによると、極真空手は大小6つの団体に分裂したとの事。
 大山さんの子供達は、ばらばらになってしまった。よく言えば独立したと言う事か?

 前回こかした茶帯のAさんが来ていた。剥きになって仕返しされる事もなく普段通り。
 俺が逆の立場だったら、剥きになっているかもしれない。俺は、まだまだ修行が足りないんだな。
 ま、だからこうして道場に通っているのだが。
 人生、修行、修行だ。

 帰りにまた一杯飲んでしまった。修行が足りないな。
 体重が落ちるわけ無い。

2004年05月15日(土)
 週2回通うようにしたが、まだ体が慣れていないな。疲労感、蓄積疲労との戦いだ。やり過ぎは良くない。怪我に気をつけねば。
 年齢経験体力相応の稽古と、多少の頑張りと言った所か。

 先日とんでもない事が分かった。
 昇級審査では、拳立てとか、前蹴りスクワットをやらされるとか。
 拳立ては、拳を握っての腕立て伏せ。前蹴りスクワットは、しゃがんじゃ立って前蹴り。日本拳法をやっていた頃には、屈伸蹴りと呼んでいた、俺の大嫌いな練習だ。
 騎馬立ちと並んで、俺が廃止を唱える練習だ。
 はぁ〜〜、でも少しはやらなきゃ。

 そういえば、ここんとこ動体視力が少し戻ってきたような気がする。
 若い時の何%程戻ったかは分からないが、そんな気がする。

 近頃考えている事。
 酒を減らさないと、体力的に仕事と空手を両立させるのは難しいかもしれない。
 簡単な事だがとても難しいんだ、これが。

 今日の稽古もきつかった。

2004年05月19日(水)
 歯医者に行って混んでるから床屋に行って、もう一回歯医者に行ってそして空手。その他休日はやる事が沢山ある。休みじゃないな。

 俺の気合と念力が通じているのか、N指導員は最近騎馬立ちをあまりやらない。よしよし。多分俺が行かない日にやっているのだろう。
 しかし、いつか溜めて一気にやりそうでコワイな。騎馬立ち禁止の念を送り続けなくては。

 キツイなりに体が少しづつ慣れてきたようだ。蓄積疲労の量が減ってきたような気がする。

 今日、久々に道場に来たと言うNaさん、
「2年ぶりくらいすかねぇ、来たの」
「休会していたんですか」
「いや、休会はしてませんでした」
2年間、毎月月謝を払い続けていたとの事。エライ!
 9450円X約24回=私には余りの巨額で計算できない。
 休会を届けると月々1050円の会費にしてくれると言うのに、、、何という太っ腹。


 6月6日は昇級審査。
 N指導員、
「顔面はポイント制ですから、軽い蹴りとかでも貰わないようにして下さいね。触ったらポイント取られるくらいのつもりで、しっかりガードしてください」
極真空手独特の間合いと距離感を早く身に着けないと、中々勝てそうも無いな。正直戸惑いはある、だが頑張るのみだ。

 しかし今日も飲んでしまった。

2004年05月22日(土)
 土曜日は、毎週大人子供合わせて30人近くいて道場が狭い。だが子供と一緒にやると言うのは、活気と若さと無邪気さに溢れていて楽しい。俺も好々爺の域に踏み込み始めているようだ。

 練習前にふざけていて泣き出す子が居た。聞けば女の子に顔を蹴られたとか。周りの子供達があーでもないこーでもないと、色々報告をする。
「そうか、もう大丈夫だ」
と言って私が尻をポンポンと叩くと、泣き止んだ。私はそのままそこを離れた。しかしそれ以上誰も何もしてくれないと分かると、その子はまた、
「ワァ〜〜〜〜〜」
 と泣き出した。誰も援軍は来ない。家だと母親が飛んで来るのだろうか、泣き続ける子供。
 稽古開始。
 N指導員
「泣くな、もう大丈夫だろ」
 遂にあきらめて子供は泣き止んだ。素直に稽古に参加。こうして奴も強くなっていくのだ。
 何でもないことだが、こんな光景が楽しい。

 他にも、仕切りたがりの子、すぐにちょっかいを出す子、ポァーとしている子、ニコニコ顔の子、威張っている子、威張られている子、うるさい子、無口な子、それに私の子etc.皆面白い。

 子供は皆宝物だ。

2004年05月26日(水)
 週2回の稽古にも随分体が慣れてきた。楽とは決して言えないが、慣れてきた。
 ・・・・・と思っていたら、そいつは突然やってきた。そいつはイキナリやってきた。
 そいつの名は、
「騎馬立ち」
 くそ!まだ廃止されていなかったか。しぶとい。
 多分奴は、空手が存在し続ける限り生き残るのだろう。
 しかし俺はそれに対抗して、騎馬立ち禁止の念を送り続けるのだ。しかし、それは非常に精神的に疲れる行為でもある。
 要は、修行を積み騎馬立ちが苦で無くなればいいのだが・・・・・何時になることやら。


 しかし、自分でも感心するな。この日記が続いていると言う事に。俺はエライ。
 面倒臭くなって止めたら、エラクナイ。

 昇級審査に向けて酒の量を減らしたら、体重計に乗った訳ではないが、体重が減ってきたような気がする。
 近いうちに計ってみよう。
 小野明良の「ダイエット日記」と言うのも良いかもしれない。


 今、悩んでいる事。
 運動不足と年齢による、股関節の硬化。
 運動不足と年齢による、腹の贅肉の増加。
 運動不足と年齢による、腹筋の退化。
 よって中段より上に、蹴りが上がらない。

 それと新極真空手ルールへの順応。
 今日もN指導員の声が飛ぶ、
「小野さん、それ反則ですから!」

2004年05月29日(土)
 今日も、
「騎馬立ち」
もう俺は、驚かない。辛い事に変わりは無い。そろそろ奴の存在を受け入れなくてはいけないようだ。

 随分稽古に体が慣れてきたと思ったが、疲れが溜まっているな。
 腰がみしみしいっている。
 10代の頃から俺を苦しめてきた腰痛。疲れがたまってくるとやばいんだ。気をつけよう。

 明日は、子供の昇級審査。

2004年05月30日(日)
 池上道場で子供の昇級審査。
 筆記試験の後、基本、型、試合と試験は行われるらしい。

 自転車で午後、試合を見に行ったら、ちょうど俺の子が、戦っていた。

 敢え無く一回戦敗退。

 試合を見ていて感じるのは、どうも今ひとつ闘争心に欠ける。
 というよりも、その部分の情緒がまだ発達していないような気がする。
 それとも根っから穏やかな性格なのか、おっとりしているのか。
 一体誰に似たのか。

 一見闘争心にかけるかに見えるが、それでも空手は好きなようだ。

 ま、長い目で見てゆこう。

 来週は、俺の審査だ。
 ちっとは、子供の手本に成れればと思うが、そんな事を考える余裕は無いな。
 とにかく必死にやるのみ。身に付いたものが出るだけだ。

 そして老化との戦いだ!

2004年06月02日(水)
 練習開始時、俺一人。N指導員とマンツーマンで稽古が始まる。

 こういう時、人はどう思うのだろうか。
「寂しいな、一人で嫌だな」
と思うのだろうか?
 私は、細かいところまで指導してもらえると思うから、
「ラッキー」
と思う。しかし一つ手を抜けば直ぐに指摘されるのできついとも思う。N指導員もそれが分かっているから、適度な注意。

 開始20分後、2人来た。その15分後、もう一人。
 人数が増えれば、稽古も盛り上がる。一人で盛り上がるのも限界がある。

 膝を痛めて自主トレだけをやりに来る人がいる。3ヶ月ほど前に、ストレッチをやっていてイキナリ腱を切ったとの事。前兆は無く、文字通りイキナリだったと。 歳を聞けば、43歳。俺より一つ下だ。俺も怪我に気を付けなければ。しかし前兆なしでイキナリと言うのは怖いな。

 今度の日曜日は昇級審査だからといって、N指導員、防具を付けて攻撃を受けてくれる。
 アイスホッケーの選手が履くようなズボン型の防具に、胴、ファールカップ、肘膝はサポーター。
 鎧を着ているようで、強そうだ。

 壮年部の試合は、一分半。延長も同じくらい。
 どうぞといわれて一分半ラッシュ。
「ハアハアハアハアハア・・・・・ハアハアハア・・・・・・ハアハア・・・・」
10秒のインターバルを入れて、延長のもう一分半。
「ゼイゼイハアハアハア・・・・・ハアハアハア・・・・・ゼイゼイ・・・・・」

「どうですか?試合はこれぐらいだと思いますから。勝ち上がればまた次また次って試合ですよ」
「ハアハアハア・・・・・わし・・ハアハアハア・・受けるの・・ハアハア・・止めようかな・・・・ゼイゼイゼイ・・・」
「あはははは。頑張ってくださいね」
ニコニコ顔のN指導員。

2004年06月06日(日)
 昨日一昨日と親戚のおじさんの通夜と告別式。なんかバタバタした審査前。不況の中店を休むわけにも行かずアルバイト増員。何とかしのぐ。
 本来、喪に服さなければいけないのに、払い込んだ1万円惜しさに審査を受ける。
 この日早朝から予定されていたお祭りの神輿は、パス。

 午前10時から昇級審査。 初めに言っておこう、一言、しんどかった。
 長い事運動とは無縁になっていたのに、仕事の合間にたかだか2ヶ月運動したからって、そうそう体力が付いているわけ無かった。

 筆記、基本、体力、移動、型、そして試合。白帯は一試合やればよいのだが、調子に乗って午後の色帯審査のトーナメント戦を希望した。身の程知らずとはこの事でこれが間違いだった、後悔先に立たず。

 午後の色帯の型が終わるまで待って、試合開始。試合に出る事だけを目的にきている人も大勢居る。こういう人たちは体力的に消耗度ゼロ%に近い。私は午前中で消耗度70%以上。

 そういえば、15年ほど前にちょこっと教わったI師範は、私のことを覚えていた。二言三言挨拶。
「同年代として頑張ってください」
 I師範は、私とあまり歳は変わらないようだ。

 さて試合は何歳(多分35歳位)から区切っているかは分からないが、44歳の私は壮年部。
 何キロから区切っているかは知らないが、89キロの私は重量級。

 壮年部重量級第一試合。私の試合。試合時間は、1分30秒。
 相手は黄色帯、推定身長170cm、推定体重100kg、推定年齢37歳位の人。
 私が白帯のせいか、相手は物凄い勢いで突っ込んできた。
 逃げるとやられる。私もイヤイヤながら前に出る。
 なんか、やたら試合時間が長く感じる。
「ハアハアハアハア」
 おい、時計係!ちゃんと時計を見ているか!?まだ終わらないのか!?1分余計にやっていないか?
 スタミナが無い。顔がそこにあるのが分かっていても足が上がらない。
 気力をふりしぼってヤケクソ右ハイキック。いっせのぉーせっ!
 あれ?当たっちゃった!!
 撃力には欠ける。しかし顔面をとらえていたので技ありのポイント。よしよしこのまま終われ、と思ったその直後、相手が挽回しようと発情犬の様にラッシュしてくる。
 おい、止めろよ、そんなに出てくるなよ、危ないじゃないか、おい、きみ、落ち着け、だから、あの、勘弁して、ちょっと、話せば分かる、いや、謝る、謝るから、今の蹴りは無かった事にしよう、謝るって言ってんだろ、このヤロー、
「時間です!」
 助かった。判定勝ち。

 トーナメントなんて希望するんじゃなかった。もう体力無い。
「ハアハアハアハア・・・・・ゼイゼイゼイゼイ・・・・」

 次の試合。相手はシードの茶色帯、推定身長180cm、推定体重82kg、推定年齢38歳位の人。
 相手は一試合目だ。こんな状態でラッシュされたらお仕舞いだ。
 私はポーカーフェイスで、体力満々の振りをした。
「何処からでもかかって来なさい。ふっふっふっふ」
 不敵に笑い相手を威嚇。
「ふっふっふっふ」
私は笑い続けた。どーだ、不気味だろぅ。
 開始と同時に相手が突っ込んできた。ヤバイ、威嚇作戦は効かなかった!
 下がるとやられる。苦し紛れに私はローキックを打った。相手はガード。続けて2本目のローキックで足払い。転ばして追い突き、良し決まった。と思った、がポイント取れず、無駄に体力を使ってしまった。これで私の体力残量計はゼロを指した。
 しかし、足払いで転ばせたせいか、相手が警戒して突っ込んでこない。ラッキー。
 そのまま試合終了。
「ハアハアゼイゼイ」
 判定は、5人のうち私に2本上がるも引き分け。
「えっ!!」
判定に文句があるのでは無い。ひょっとして、えんちょ〜〜〜〜、園長、円頂、円超、いや延長戦。世の中怠け者ほど沢山働かされるように出来ているのだ。
 口から外に飛び出した心臓を口の中に押し戻しながら、延長戦、1分30秒。
 はっきり言って延長戦の内容は殆ど覚えていない。私はパンチや蹴りを出したのだろうか?タイムをとって深呼吸でもしていたんじゃないだろうか。チャップリンの様に、主審の後ろにくっついて休憩していたような気もする。
 優勢勝ち。

 苦しい、苦しい、息が苦しい。カミサンと子供たち、そして子供の友達と母親が来ていなければ、恥も外聞も無く、
「スミマセン、次棄権します」
と言いたいところだった。
 しかし、分かってはいたが、ここまで体力が落ちていたとは・・・・・老化の自覚。

 その次の試合。相手は茶色帯、推定身長200cm(本当は俺より低い)、推定体重200kg(そんなにある分けない)、推定年齢75歳(半分くらい)。
 重い。
 ひたすら前に出てくる人。正面から打ち合ったらじりじり押される。頑張ったがじりじり押される。
 横に回ろうと思ったら、もう足がふらふらで、もつれそう。
 腹を叩いても効かない。押されてしまう。
 腹に蹴り入れたとき顔をしかめた、チャンス!
 だが苦しくてラッシュできない。クソ!足も手も動かない。
「時間です」
 判定は、相手に1本上がったようだが引き分け。
「ありゃりゃっ!!!!」
またしても、えんちょーーーーー。これはいじめか!?
「ハアハアゼイゼイヒイヒイ」
 結局、両者有効打なしだが、押されていた俺の負け。
 ま、実際体力無かった。


 終わってみれば第3位。
 疲れた。
 44歳入門2ヶ月ちょい、ということを考えれば、悪くないか?
 しかし昔とはいえ、日本拳法経験者としては情けないか?

 カミサンが道場に通う上の子に
「お父様、3位だよ、凄いねー」
私は、
「負けちゃ、駄目だよな」
子供は、
「うーーん」
まだ情報が整理しきれていないのか、頭の中で色々考えているようだ。

 幼稚園に通う下の子供が私に言う。
「お父様、もっと速く蹴ればいいのに」
「そうだなぁ」
「お父様、もっと強く蹴れば良いのに」
「そうだなぁ」
「お父様、もっと沢山蹴れば良いのに」
「そうだなぁ」
「ご飯沢山食べれば、疲れないよ」
「そうかぁ」
「もっと強いパンチ打たなくちゃ、OOOみたいに」
アニメか何かのキャラクターの名前を言っているようだ。
「そうだなぁ」
「そうすれば、勝てたのに」
「そうかぁ」
「そうだよ」

 子供の言葉には、沢山の真実が含まれている場合がある。

 審査結果は、後日。
 
2004年06月07日(月)
 昨日は、長い一日だった。昇級審査で午前午後、そして夜はお店の営業。

 カミサンが撮影した昨日の試合のビデオを見てみる。

 正直な感想。
 あんなに息が上がっていたのに、傍から見ると大した事やっていない。
 自分のなかでは、激しく戦って来たつもりなのに、、、、。
 昔は、、、もっと動けた、、、はず、、、ほんとにスタミナ無くなっているんだな。

 それと戦い方において、極真空手の感性より、日本拳法の感性の方が強く出ている。
 早く極真の感性で戦うように、切り替えなくては。
 組み打ちや、寝技等が無いというのは、そんなに切り替えるのは難しい事ではない。
 だが顔面パンチ無しの間合いで、どうやって戦うかが、今後の課題だ。
 今はまだ突っ込んでこられると、相手が顔をガードしていない事ばかりに気をとられ、どうして良いか戸惑ってしまう部分がある。

 そして、蹴りがスムーズに出るように腹の贅肉を取る事。

 まだまだ先が長い事を予感させる昇級審査だ。

 そういえば昨日会場でI師範が、
「ちょっと体重増えられました?」
と言っていたな。
 15年前の私は、今より十数キロスマートだった。

2004年06月12日(土)
 交通事故じゃないけど、試合後2、3日してから痛いところが沢山出てきた。随分無理をしているんだな。
 足の甲、足首、手首、胸、背中、腿その他。
 筋肉痛だったり、ひねってたり、打ち身だったり、若さにかけるな。

 今日、稽古前に柔軟体操をしていると、なにやら興奮した青帯の子供が私のところに来て小声でささやくようにデッカイ声で、
「大変なことになってるよ。ほんと凄いから」
「え?」
「審査の後、帯貰ってないでしょ」
「うん」
「僕ね、見ちゃったんだ」
「何を?」
「名前なんていうの?」
なんだ、今頃。
 私は、帯に書いてある小野というところを見せた。その名前を確認すると、あらためて子供は、
「ほんとは見ちゃいけないんだけどね、先生のところ開けて見たらね」
「黙って開けたのか。駄目だよそんな事しちゃ」
「しーっ!!駄目だよ言っちゃ」
自分では小声のつもりでも、かなりでかい声で話す子供。一応周りをうかがうような素振りを時々見せてはいるが。
「あのねぇ、凄い事になっているんだよ。帯の色が、、、、、何色だと思う?」
「なんだ、金色にでもなってるか?」
「いや、だからね、、、あのさ、、、とにかく、、、ほんとに、、、」
本人、黙って開けた罪悪感と、見てしまったものを言わずにはいられない欲求と葛藤している。かなり大きくたたかっているようだ。
「だから、びっくりするよ、、、」
黙っていれば僕は罪に問われない。しかし僕は言わずにはいられない。自分の中で必死に戦う子供。
 大きく悩む子供の話は、核心へと進まず一生懸命「だからあのね」と繰り返す。 何色なんだと一言僕に聞いてよ、といわんばかりに「だからあのね」と繰り返す。 僕言いたいんだけど言うと罪になるから・・・・・聞かれて答えるなら・・・・おじさんに聞かれたからって、言い訳も出来るし・・・・だから・・・・・あのね・・・・・・・子供の葛藤は延延と続く。

「稽古始めます、並んでください」
N指導員の声。
 子供は、あーっ、始まっちゃったじゃないか、もうヤケクソで言っちゃおうかな。そんな残念そうな顔をして私のそばを離れていった。


 N指導員から手渡された帯の色は黄色だった。
 白ーオレンジー青ー黄ー緑ー茶ー黒と進む帯色のうち、オレンジと青を飛び越えた。
 大人にとってはあまり驚く程の事ではないが、子供にとっては、驚異的なことに見えた様だ。
 N指導員から帯を手渡された時、子供達からは感嘆の声が上がった。
「うわー」
「すげぇー」
「なんで」
私は、子供達にピースサインで答えた。
 今どきの子供にピースサインは通じるのだろうか?

 体の痛みも多少癒される、子供たちの純粋で素直な反応。

2004年06月26日(土)
 2週間ぶりの稽古。
 先週は、N指導員が試合で大阪に行っていたため稽古お休み。

 子供は面白い。
 白帯から黄帯になったため、子供の私に対する態度が一変した。
 今までは、
「おまえ大人でも白帯なら、オレのほうが先輩だからな。そこんとこ忘れんなよ」的態度だったのが、
「さすが大人だ。でも帯の色抜いたからっていじめないでね。宜しくお願いします」的態度になった。

 N指導員の大阪での試合(全日本ウエイト制)は、残念ながら3回戦敗退との事。次に期待しよう。

 今日は暑くて辛かった。
 これからの季節暑さが思いやられる。
 そういえば今日の稽古、大人は私一人。偶然か、はたまた暑さのせいか。
 私を始め、大人は暑さに弱いんだ。

2004年07月03日(土)
 8月の末に舞台に出る事になったので、水曜日の稽古には出られなくなりそうだ。
 多分しばらくは、出られて土曜日の午前中のこの時間だけだろう。

 等々力道場に通う居酒屋「味誠」のTa君、6月28日に自由が丘から西小山移転、新店舗オープン。
 29日に顔を出してきた。駅から1分くらいの好立地。どっかん大行列を目指して頑張れ!

 今日も暑かった。こんな暑さの中で稽古したら痩せちゃうな。でもそれで丁度いい、舞台までに体重を10キロは落とさなくては。
 なにせ現在私の体重は、私の公式プロフィールより、10キロ重いのだ。

 覚えなくてはいけない基本、型等、沢山あるのにチンプンカンプン。
 早く覚えなくては。

 体は一つなのにやるべき事は沢山ある。はぁ〜〜。

2004年07月10日(土)
 暑い、暑い。
 とっても暑い、今日この頃。
 今日も大人は、俺一人。大人は暑さに弱いのだ〜〜。

 N指導員のお許しを得て、これからはN指導員改め内藤指導員と実名掲載でいきます。
 今更言うのもなんですが、私が通っているのは、新極真空手東京城南川崎支部下丸子道場です。そして城南支部の支部長は入来氏。
 極真空手分裂後、色々勢力図はややこしいようだが、私はちんぷんかんぷんでよくわかっていない。
 何度か大まかな説明を受けるも、よくわかっていない。
 早い話、俺にはドーでもいいことなのだ。
 こんなことを言うと、幹部連中は面白くないかもしれないが、一般初心者とはこういうものだ。

 道場は、家から自転車で15分程の所にあります。

 ある子供の道場生の母親に見覚えがあった。
 そりゃ子供の頃とは全然違うが、どこかに面影が、
「Oか?」
 旧姓で呼びかけると、そいつは、いや、そのおかーさまは俺の顔をじーーーーと見つめ、いきなり素っ頓狂な声で、
「あきらーっ?」
と叫んだ。
 バッキャロ、イキナリ下の名前で呼ぶなよ。子供じゃないんだから。

 そいつは小学校中学校が一緒だった旧姓Oだった。
 そして、なにやらもの凄いスピードで、回りに居たお母さん連中を巻き込みながらパァパァ喋り倒して、
「じゃあねー」
 子供は不思議そーに俺と母親の顔を交互に見ていたが、引っ張られるように帰っていった。

「おじちゃんはね、君のおかーさんと昔、むかぁーし同級生だったのだよ。はっはっはっは・・・」

2004年07月17日(土)
 近頃日本はおかしいんじゃないか。
 この暑さは尋常じゃない。
 地球の温暖化!

 東京他日本各地は猛暑なのに、新潟のほうでは大雨で川が決壊大惨事。

 今となってはもう30数年前、多摩川が決壊したのを思い出す。確か小学校5年か6年ぐらいの頃だった。
 多摩川の川幅は一番外の土手の所まで広がり、川原のグランドは完全に水没。激流が流れる。
 そこを上流から車がゴワンゴワンとうなりながら何台も流されていく。
 さらには生きた牛が鼻っ面を水面に出してンモォーと言いながら流れる。
 上流の狛江では、家が流される。
 あれは凄かった。
 でも子供っていうのは残酷で、災害や危険の意味が分かっていないから、ああいうの凄く楽しいんだ。

 中学生の時数人で、
「もっと火出ねえかなー」
「うわっ、凄ぇー!」
火事を見物してはしゃいでいたら、すぐ横に深刻な顔をした同級生が居た。
 聞けば燃えているのはそいつの家だと。。。
 さすがに悪いと思ったな。

 後日、そいつんちのために中学で集めたカンパはかなりの額になった。
 それを受け取った同級生は、先生に促されてお礼の挨拶、
「皆さんのおかげで、うちも少しは助かります。有難うございました」
今でも私の記憶に残る、中学生らしい本音の挨拶。


 そして今日も大人は、俺一人。

 と思いきや、遅刻でSaさん、さらに遅刻でAさん。
 今日は大人3人めでたしめでたし。
 でも暑い。

2004年07月24日(土)
 おい!
 ほんとーに暑いぞ。
 もう3週間ぐらい連続で真夏日が続いているな。
 先日の39.5℃とか、38℃とかは異常だ。
 俺が子供の頃より夏の平均気温は、5℃位上がっているんじゃないのか。

 やい!気象庁。
 何とかしろ。

 という事で大人は3人。
 夏休みに入っているせいか、子供も若干少ない。

 舞台に向けて体重を落としたいのだが、こう暑くちゃバテテしまう。
 毎日毎日アイスクリームとジュースざんまい。だからばてるのかな?
 現在約85kg。予定より3キロオーバー。
 年を取ると体重も思ったようには落ちないな。

 あまりに暑いので、近所の道場生Kaさんの喫茶店に涼みにいった。
 そしたら、練習には来ていなかったが子供を迎えに来ていたSuさんが居た。仕事が忙しくて毎晩遅いらしい。明け方に帰ってくるのだから、午前中は起きられないのは止むを得ないな。
 その後、内藤指導員と、一年振りにきたという19歳の若衆も現る。


 それよりも何よりも、今は早くセリフを覚えねば。
 おじさんは、記憶力も落ちているのだよ。

 型も覚えねば・・・・・。

2004年07月31日(土)
 大人2人。
 暑いと大人が少ないのは、当たり前の感じがしてきた。
 夏休みに入ったせいか子供も少なかった。

 暑い中での騎馬立ちは辛いな。バテル。

 来週は子供の大会があるので休み。
 そして道場の夏休みに入るので、しばらく休みが続くと思われる。

 型なんか全部忘れてしまいそうだ。
 ええと、なんだっけ、大極(タイキョク)T、U、Vに平安(ピンアン)T、U、V・・・。


 指導員の内藤先生は、8月の終わりに試合に出ると、頑張っている。
 もしかしたら、道場の夏休みと私の舞台でしばらく会えないかもしれないな。
 試合での健闘を祈ろう。

2004年09月11日(土)
 舞台も終わり、疲れもようやく抜けてきた。
 疲れが抜けるのに、やたら時間がかかる今日この頃です。

 8月は、道場の夏休みと舞台の仕事の関係やら何やらで、何もせず。
 久々に稽古に参加。
 殆ど型を忘れている。
 えーと、ピン・・・アン何とかは、次はこうで、こうで、あ!その次なんだっけ?あ!そうだそうだ、こうして、あーして・・・・。
「小野さん!違いますよ」
「?」
「抜き手から上段受けです」
「???・・・・・・オス」
 ぜーーーーんぶ、忘れてる。
 トホホホ、また覚えなくては。


 内藤指導員が、なぜかビッコを引いている。ふくらはぎの肉離れで、8月の試合は出られなかったらしい。
 彼は燃える男だから、練習をやり過ぎたらしい。30歳越えてのオーバーワークは怪我が怖いな。

 わしもあちこち痛くて・・・・古傷が・・・・新しい怪我が・・・・腰・・・・膝・・・・・。もう若くはない。
 だが一番の敵は、怠け心でもある。
 しかし根性で練習をやり続けるのも大切だが、スパッと中断する勇気も要求されるのが年配者の稽古。
 彼もその年齢に差し掛かってきたか?
 復活を祈ろう。


 私自身は、またゼロからのスタートだと思って無理をせず頑張ります、ハイ。

 体を動かし、気合を入れ、汗をかき、ビールを飲む。
 いやぁ、楽しいじゃないですか!

2004年09月18日(土)
 土曜日のクラスは、にぎやか。
 人が入り切れないのではないかというほど沢山人がいる。
 その9割は子供。
 他の稽古日は、一人とかいう日もあるといっていた。
 上手くいかないものだ。

 型を忘れているから、覚えねば。と思いつつも、稽古に来た時しかやらないから早々進歩するものではない。
 9月23日に昇級審査があるようだ。舞台に行ってて気付いたら締め切りは過ぎていた。
 ま、のんびりやりましょう。


 今日スパーリングの時、
「はじめ」
 と声がかかっても、ニコニコして構えもしない子とあたった。
「?」

「攻めておいで」
「(ニコニコ、ニコニコ)」
 しょうがないからジャブをゆっくり出してみた。
 何とそいつはよけない。
 勿論当てる気も無いから顔の前でパンチは止まる。

「(ニコニコ、ニコニコ)」
「よけないと、やられちゃうよ」
「(ニコニコ、ニコニコ)」

 何故お前は笑い続ける?
 不思議な奴だ。

 そんな状態が続きそのまま、
「止め」
 の声がかかる。
 ところが、止めの声と同時にそいつは物凄い勢いで突っ込んできて、蹴りとパンチを繰り出してきた。
 しばし攻撃して一段落すると、そいつは戻って行った。

 どうやらニコニコ顔は、奴の作戦だったようだ。
 子供は、大人が想像付かない奇抜な作戦を考えるものだ。

2004年09月25日(土)
 あのね。
 やってしまったんよ。
 だから。
 そのね。
 あーぁ。

 21日の火曜日。
 ちょっと前かがみになって物を取ろうとしただけなのに・・・・・。
 ぎっくり腰。

 私は高校一年のときに、初めのぎっくり腰をやった。
 それ以来、何度かギックリして、今ではぎっくり腰のベテランです。
 そろそろ私も年寄りの病気、怪我自慢の仲間に入れてもらえるかな。

 今回のはちょっと厳しい。

 次に稽古に行くのはいつになるか?

 型が頭の中から吹っ飛ぶのは、間違いない。

2004年11月06日(土)
 本日復活。

 一月半・・・・・か。
 随分と休んでいたもんだ。
 体が硬くなっているな。蹴り足が上がらない。
 筋肉がなまっているな。構えるのイヤだな。
 腹がまた出てきたな。蹴り足が上がらない。

 私も10月で45歳になった。
 年を取ると、退化するスピードが加速してくるような気がする。

 体を動かそうとするのは何故だ?休んでいる時、そんなことをチラッと考えた。
 若くありたいと言う人間の本能か、それとも強くありたいと言う牡の本能か。
 自分にはそんな本能は無く、年相応でいいと思っていたのだが、心の奥底には老化に対する恐怖と不安があるのかもしれないな。
 だからその恐怖や不安を少しでも和らげるために、いろいろ足掻いているのかもしれないな。

 でもまあそんな事はどうでもいい、深く考えてもしょーも無い。
 楽しく通えると言うのが一番だ。

 いろんなことに人は価値を見つけるが、私の場合、体を動かす事に充実感がある。
 何らかの努力をし続けるという行為にも、私の場合、価値観を見出す。
 ま、自己満足の域は出ないのだが。

 ポンコツの体や、仕事で中々思うようには通えないが、とに角根気よく続けていこう。
 継続は力!


 ところでね・・・・・型・・・・・・すっかり吹っ飛んでいましたよ、ハイ。
 また一から覚え直さねば・・・・・・ハァ〜〜〜〜。

2004年11月13日(土)
 昨日は、仕事の後バーボンをロックで飲んだ。
 ボトル半分位。これ以上飲むと人様に迷惑を掛けかねない、ギリギリ。

 10時起床。
 まだ酔っ払ってる。
 酒が抜けていない。

 きついかな?と思ったけど、酔いに任せて11時からの稽古に行った。
 稽古途中こみ上げる事、2回。しかしおさえる。
 何とか最後まで乗り切ったものの、きつかった。

 稽古で汗かいて、ようやくアルコールが抜けた感じ。

 皆さん!
 お酒は控えめに。
 自分で自分のスタミナを減らします。
 って、わかってはいるんだけど・・・・。

 いやぁーー、今日の稽古は死ぬかと思った。
 普段と変わらない稽古なのだが。

2004年11月20日(土)
 この間の水曜日、同じ道場生のSuさんが関係しているお店にいってきた。
 西麻布のカフェ?バー?レストラン?居酒屋?と言った感じの洒落たお店。
 今年の7月にオープンしたと聞いた。
 しかし、今ひとつ伸び悩んでいるため、年内に閉めてしまうらしい。
 いい店なのだが、勢いに乗れなかったようだ。

 水曜日にいきなり行ってSuさんを驚かそうと思ったら、火曜日にSuさんが私の店「良久」にいきなり現れてびっくりした。
 あまりに驚いたので、
「明日カミサンといきなり行って、驚かそうと思っていたんですよ」
と計画をばらしてしまった。

 西麻布には、多分10年以上足を踏み入れていないだろう。
 久々に5分ほど歩いた夜の西麻布は、私の記憶よりもはるかに洒落た街になっていた。
 そして3人で心地よく飲んで食べて、店を後にした。
 Suさんは、随分気を使っていた。今度は誰も気を使わないで済むところで飲むべきだな。

 飲食業をやっていると、勉強と称して色んなところで飲んで食べる。金がかかる。しかし自分お店の売り上げはよろしくない。
 俳優業をやっていると、勉強と称して映画を見て、芝居を見て、遊んで・・・・・。金がかかる。だが仕事は無い。
 一般的理解を得るのは難しいかもしれない。


 風邪で喉がいがらっぽい。息が上がる。

 思うに舞台の仕事とぎっくり腰の療養で、合わせて3ヶ月くらいまともに稽古をしていなかった。
 イメージから遠い自分が、さらにイメージから遠ざかっている。
 かなしーーーいっ。

 いい加減、型の順番だけでも覚えなくては。
 自分で望んで通っているのだから。


 11月27、28日は、全日本大会があるため、来週はお休み。
 内藤指導員、出場予定。
 今日会ったら、肌の色艶もいいし張りがあるので期待できるかもしれない。
 きっと調整もうまくいっているのだろう。

 頑張れ、内藤健太先生!
 応援には行けないけど、応援していますゾ。

2004年11月27日(土)
 今週は全日本大会のため、お休み。
 今頃内藤指導員は、必死に戦っている事だろう。

 大学の拳法部時代の後輩Siからメールが来た。
 ニュージーランドに移住しているその後輩は、なんとこの「小野明良の新極真空手日記」を見ているとの事。
 そう、インターネットというものは、外国にいても見る事が出来るのだ。なんか凄い時代になったなあと思う。
 ちなみにそいつは学生の時は日本拳法部に所属し、大学を出てからボクシング、極真USA、円心空手を学び、今またニュージーランドでムエタイのジムに通っている。
 20年若ければ、プロになれと進めたいところだ。


 近頃、また太り始めた。
 ふとって一番困るのは、動くのが面倒になる事だ。
 太る原因は自分で良くわかっているのだが・・・・・。

 不思議なもんで、金の無い奴ほど酒を飲みたがるし、ギャンブルをやりたがる。
 そして飲んだくれて、そして負ける。
 ストレスの発散のつもりが、余計ストレスを溜める。
 そしてそのストレスを発散するために、酒を飲み博打を打つ。
 貧乏人の悪循環。
 ・・・・・ま、金持ちの飲んだくれも沢山居ますがね。


 近頃は、心にも贅肉が付いちまったようで。
 心の贅肉をまず削ぎ落とさねば。

 日々精進・・・・・・・・せねば。

2004年12月04日(土)
 ちょっと用事があってメールを打った名古屋の後輩Ya。
 その返信が返ってきた、最後に、
「『新極真空手日記』楽しみにしています」
ここを見ている人間は、私の予想を超えて存在しているようだ。
 くれぐれも言っておこう。
「小野明良のホームページに迷い込み不愉快になっても、小野明良は一切関知せず、責任も取りません」


 内藤指導員の全日本大会は、2回戦敗退。
 残念。
 私は、近頃便利なインターネットで翌日には結果を知ってはいたが今日改めて本人と、観戦していたSuさんに聞いた。

 Suさん曰く、
「内藤先生の方が、本戦では確実に押していて判定勝ちでもおかしく無い感じでしたよ。ボディもかなり効いていたから。延長に入ってからはあまり差がつかず、再延長。差があるように見えなかったから再々延長になるかなと思ったら判定負けで、あれっ?て感じですよ。 相手が若手の実績のある選手だから、はっきり差をつけないと中々勝つのは難しいんじゃないですかね。審判も人間だから判定だと、どうしても入れ込んでいるほうに旗揚げて仕舞いますよ」
思い出しながら、ちょっと興奮気味のSuさん。

 この手の判定は空手に限らず、よくある事だ。なんとなく想像がつく。

 内藤君はさばさばした表情で、
「ローキックを、足を後ろに跳ね上げるような形で受けたのが、受けているのではなく跳ね飛ばされて効いているように見えちゃったのかもしれません」

 精一杯戦った燃焼感はあるという。今回は残念だが、次回に期待しよう。
「来年も、まだまだやりますよ」
と、まだまだ心は上を目指す内藤指導員31歳。


 今日は凄い人数だった。
 数えてはいないが、40人近くいたんじゃないか。これだけ揃うと道場は狭い。
 子供の新人入門者もいたようだ。
 内藤指導員ニコニコ顔。商売繁盛!
 しかし、
「平日は5、6人ですから、上手くいきませんよ〜」


 今日は、人数が多かったので全員いっぺんに動く事は出来ず、半分ずつ稽古をやったりで休憩が多かった。
 私は、助かった。
 近頃、酒の量が少し多い。だから午前中の稽古はとても辛い。

2004年12月18日(土)
 ちょっと用事があって電話をかけた後輩Ig が、
「自分も『新極真空手日記』見てますよ。Si とYa の事、書いてありましたよね」
こりゃ、監視されているようでいい加減なことは出来ないな。

 と言いつつ、来年の1、2月は仕事の関係上道場に行く事が出来ない。
 何故なら、私は行商に出る。
 この不況を乗り切るために、店舗を飛び出して外でお好み焼きを売るのだ。
 テキヤのおじさんになるのだ。

 厳密に言うとテキヤではない。
 デパート、百貨店、大型スーパーなどのいわゆる最近「デパ地下」とか言われるところ等に出店するのである。
 今はその準備に忙しい。
 どなたか、どこかの百貨店の食品催事担当者を知っている人がいたら紹介してくださいね〜〜。

 内藤指導員に、
「先生、来年の1、2月全く来られそうも無いので、休会しようと思うのですが」
内藤指導員のニコニコ顔が、一瞬固まった。
 そう、休会すると内藤指導員の収入が減るのだ。
 わしは月々税込み9450円を支払うお客様なのだ。
 そこからいろいろ引かれて内藤指導員の手元に行くと思うのだが、内藤指導員の手取りが休会している間、一名分減ることになる。

 来年の一月に結婚を控えた内藤君。
 そういえば
「彼女が『広いマンションに住みたい』なんていってるんですよ」
なんて以前言っていたよな。
「車が雨漏りするから、屋根つきの駐車場が必要なんですよ」
なんて言ってたな。

 それでも好青年の内藤指導員、泣きながらニコニコ顔で、
「休会するときは、これを22日までに出してください」
と休会届けの用紙をくれた。

 ご祝儀代わりに払い続けるか。
 わし、自主トレが出来るように鍵まで預かっているしな。


 練習後、子供が不意打ちで背中を叩いてきた。
 思いのほか痛かった。
「こらっ、不意打ちは駄目だぞ!二度とするな!!」
とビシッと言った。

 ぶって逃げた子供には、
「いいか、一回貸しだからな。あとで倍にして返すぞ!」
 子供と変わらない。
 だが、これが俺のやり方だ。
 ここでへらへら笑って注意すると、子供はやり続ける場合が多い。
「わかったか」
「わかったぁ」
 その後多少じゃれて遊んだ。

 俺に限らず世の中、
「いいか、不意打ちする奴は子供だろうがただじゃおかないぞ!やられたらやり返すからな」
って言う事は、わからせておかないと。

 やった事はいつか自分に返ってくるものなのだ。

「因果応報」
「情けは人のためならず」
「天網恢恢疎にしてもらさず」

2005年04月09日(土)
 久々、ほんとーに久々に稽古に行った。

 催事でお好み焼きを売り始めて早三月。店と催事の二本立て。
 一日中突っ立っているという事は非常に疲れて、疲れて・・・・・・・デパート等の売り子を舐めてはいけない。物凄い重労働だ。そのあと店に行って働く。
 一週間催事で突っ立って店と二本立てで働いていると、終わって2,3日動きたくない。そして気力が湧き始めた頃、翌週の催事の準備に入る。空手に通う余力は殆ど無い。
 嗚呼、貧乏人は働くのだよ。


 約4ヶ月ぶりの稽古。

 準備運動。
 やっぱり体が硬くなっているな。

 基本稽古。
 声の出が悪い。

 移動稽古。
 ちょっとやっただけで、足がパンパンに張る。

 型。
 そんな練習やったことありましたっけ!?

 スパーリング。
 グローブを左右逆に着けようとしてしまいましたよ。

 そして兎に角疲れたな。
 息が上がった。
 疲れた。


 次は、いつ行ける事やら・・・・・・・・。
 どんどん退化・・・・・・・・。
 なんか、自分が多少動けた頃が遠い昔なのを実感するな。


 近頃、下の子が空手に通いたいとわめき出した。
 さらに年会費とかいって本部に吸い上げられる会費が値上がりした。
 この不況に止めてくれ!!
 嗚呼、貧乏人は働かねばいかんのだよ。


 そういえば内藤指導員は、いつの間にか弐段になっていた。
 奥さんの出産も間近らしい。
 安産祈願!!

2005年12月10日(土)
 約1年間、と言っていいだろう。
 私は、殆ど稽古に行かなかった。いや、いけなかった。
 月謝は、払い続けている。
 内藤指導員は、そんなところに気を使って自由が丘の私の店「良久」に時々顔を出してくれる。
 そして、今日は「良久」で下丸子道場の忘年会。

 この一年間、4月に一度稽古に行っただけである。
 その間私は何をしていたか。
 のんびりとアクビをして鼻くそをほじっていた訳ではない。
 屁もこいたし、居眠りもしていた。
 そんな中で時々デパートに行って、一日中突っ立って催事場でお好み焼きを売ったり、地方に行ってお好み焼きを売ったり、大酒を飲んだり、遊んだり、良久の営業をしたりしていたら、 疲れ切ってしまってとても空手をやろうなどという気力も体力も湧いてこなくなってしまった。
 時間があったら少しでも体を休めたくて、パチンコ屋と居酒屋に休憩をしに行っていた。

 まぁ冗談はさておき、やることがイッパイありすぎて疲れきっているのだよ。
 年だな。
 もうチョイ銭があれば楽できるのにと、いつも浅ましい事ばかり考えているのだ。

 ところで自由が丘「良久」は今年一杯で閉める事にした。

 その後どーするかと言うと、アクビをして、鼻くそほじって、屁をこいて居眠りをする。
 温泉にでも浸かってノンビリします。
 いや、そーじゃ無くって東急多摩川線沼部駅の近くでお店をやる。
 私の地元だ。
 屋号はもう決めた。
「ワイルド・バンチ」
 内容は、私一人で切り盛りできるくらいの小さな店で、BAR 的居酒屋にしたいと思っている。

 深夜帯の営業と年中無休を考えているので、ますます空手には行けなくなるかもしれないが、そういう生活にシフトするつもりだ。

2006年01月14日(土)
 昨年末に続き、今日は新年会。多摩川にかかるガス橋を川崎に渡ったところの平間付近の焼肉屋さん。
 近頃こういう参加しか出来ない。
 それも「良久」を閉めて、夜動けるようになったから今日の参加が叶った。
 次のお店を始めたら、また動きが取れなくなるな。
 ま、それも人生。

 ところで、焼肉にはやっぱりマッコリだな。
 その国の食べ物にはその国の飲み物が合う、と言うのが私の持論で、実際そうだと思う。チーズにワイン。魚に日本酒。中華に紹興酒。だが私はそう思う反面、どんな取り合わせでもガブガブと飲む。そして酔う。
 今日もいい気になって飲んでいたら、結構酔ったな。人様に迷惑を掛けてなければいいのだが・・・・・。

 新極真空手の飲み会とはいえ、侮ってはいけませんぞ。
 むさくるしい男ばかりではないのだ。
 美女が大勢来る。近頃は、空手マンばかりでなく、空手ウーマンも沢山いるのだ。それも美しい。
 今日も3人の美女に囲まれて楽しい飲み会でした。これで酔わずに居られるか!
 ふふふふふ・・・・あなたも新極真空手に入門しませんか。月々税込み9450円です。

 昔、カウボーイのおじさんは言った。
「健全なる男は、酒と女に弱い」
と。
 私は、健全だ!!
 勿論、美女の眼中に私は無いのだが・・・・。

 下丸子タントスのK氏とも意見が合った。
「酔っ払って同じ事を繰り返し喋るのは、正しい酔っ払い道だ」

 利害関係のない人と飲むのは良い、と言うのも私の持論だ。

 そんなこんなで楽しい飲み会だった。
 どんな飲み会だったかって言うと、そんなこんなで・・・・・あまり良く覚えていない。

 指導員の内藤先生ホントは大酒飲みなのだが、足の怪我のリハビリのためコーラで我慢していた。かわいそーに、かわいそーに、ホントにかわいそーに。
 次回は、思う存分飲んで頂こう。沢山飲んで頂こう。今回の分まで飲んで頂こう。

 Suさんはコーラ、別のちがうSu さんは酒。
 その横でオーストラリアに留学すると言う高3の青年は、立て続けの一気をしていた。
 エ!いいのかよ!?私はまだ若いのにと驚いた、高3だ。友達同士で来ているならいざ知らず、回りは大人ばかりだ。それなのに誰も注意一つしようとしない。これで良いのか新極真空手!?
 ―――いや!いいのだ!!これでいーのだ・・・ボンボンバカボン、バカボンボン。
 若いからあんなに一気が出来るのだ。平然とした顔でガバガバと、片手にお冷のグラスを持ち、もう一方の手でガシガシと―――舌塩、舌塩、カルビ、ハラミ、カルビ、カルビ、ハラミ、カルビ、カルビ、ホルモン、ハラミ・・・・そして合いの手を入れるようにチョレギサラダ、箸休めにチョレギサラダ、そして再び、カルビ、ハラミ、ハラミ、ハラミ、カルビ、カルビ、チョレギサラダ・・・・・と連続一気は留まる事を知らず、各テーブルを回っては肉の一気食いをしていた。
その上彼は、若いにもかかわらず御飯でおなか一杯にするという事をせず、肉だけで腹を満たすと言う、アンバランスではあるが、ある意味超贅沢な食べ方をその年で習得していた。
 お冷を大きな水差しで貰い、流し込むように、そう、青年は食べると言うよりは、肉を飲んでいた。
 お見事!
 青年は、焼肉道においては既に師範級レベルに達しているのかもしれない。
 不運にも肉が運ばれてくる席に座った私は、コンパスの親分みたいな銀色に輝くトングで肉を挟み、青年のためにせっせと肉を網の上に乗せるという重要労働を担う事になった。
 私は肉を喰う間が取れずに、酒ばかり飲んでいた。
 ビール、肉乗せ、ビール、キムチ、肉乗せ、肉乗せ、ビール、肉乗せ、肉乗せ、マッコリ、キムチ、肉乗せ、肉乗せ、マッコリ、マッコリ、肉乗せ、肉乗せ、肉乗せ、チョレギ、マッコリ、マッコリ、キムチ、肉乗せ、マッコリ、マッコリ、舌塩(おぉ〜〜、やっと肉にたどり着いた)、肉乗せ・・・・・・。
 彼の食欲に合わせるかのごとく、私の肉乗せ労働も留まる事が無かった。
 私は、黙々と働いた。
(私は、自分のお店でこんなに一生懸命働いた事はあっただろうか?)
 新年会の席で私は一言も発することなく、黙々と働いた。いや、一言言った、
「すみませーん、網変えてください!」

 多少の誇張は入っているが、青年の食欲は相撲取り級であると言っておこう。
 青年の横で内藤先生は、黙々とコーラを飲みながら白いご飯を食べていた。

 ちなみに46歳の私の焼肉の食べ方は、青年がいてもいなくても、酒を飲みながら1枚ずつ焼いて食べるという、ゆっくりとしたものです。


 私が行かない間に新しく入門した人、復帰した人、前会った時と明らかに顔つきが変わっている人・・・様々。
 しばらく通っていない事を痛感するが、違和感を感じる事も無く、参加させていただきました。
 そんなこんなで、楽しい飲み会でした。


 嗚呼、しかしながら稽古に参加するのはいつになる事やら・・・・・。

 ところで、本日の美女軍団三人衆の内の一人で、私が通わなくなってから入門したNさんは、偶然にも今は無き私のお店「良久」のお客さんだった。
 ちょっと驚き。

2006年03月01日(水)
 内藤指導員から電話が入った。

「小野さんのホームページなんですけど、削除してください!」

 なんだろう?
 内藤君かなり怒気を含んだ言い方だ。

「まずいですから、削除してください!」
「????何が?」
「この間の新年会ですけど、―――高校生、酒なんか飲んでませんよねぇ!」
「ウン、飲んでないよ」
「ヘッ!?・・・・・酒、飲んでなんかいませんよねぇ!」
「飲んでないよ」
「エッ??―――でも・・・酒の一気飲みしたって書いてあるから・・・・」
「書いてないよ、そんなこと」
「えッ・・・でも・・・・書いてある・・・って・・・・」
「書いてないよ」
「あー・・・でもー・・・えーーー」
「内藤君、ちゃんと読んだ?」
「え、・・・あの・・・・いえ・・あのぉ・・・・」
「ちゃんと読めば、分かるはずだけどな、、、、内藤君、最後まで読んだ?」
「いえ・・・あの・・・・僕は・・・読んでないん・・・・・ですけどぉ・・・・・・・」
「どういうことぉ?」
「あ・・・あのぅ・・・カミさんが、小野さんのホームページ見て、あれはまずいんじゃないかって電話してきて・・・・・・」
「何で?」
「高校生が、酒の一気飲みをバンバンしていたって書いてあったって言うから・・・・・」
「そんな事書いてないよ」
「―――そうなんですか?」
「ちゃんと読めば、わかるはずだけどなぁ。肉の一気食いはしたって書いてあるけど酒を一気飲みしたとは書いてないから」
「ほんとですか?――――――そうですか・・・・・・・・分かりました・・・・・」
「ま、内藤君ちゃんと読んでごらんよ。それで問題があるっていうなら削除するけど、―――問題無いと思うけどナー」
「あーー、はい、分かりました、すみませんでした。いや、高校生・・・・酒飲んでなかったし・・・・」
「酒飲んだなんて全く書いてないから」
「分かりました。すみませんでした」
「いえいえ。内藤君全部読んでみてね。何かあったら電話頂戴」


 ちょっとおっちょこちょいの内藤指導員、奥さんからの誤報を事実確認をせずに信じ込み血相を変えて俺のところに電話してきたらしい。
 内藤君、次からは事実確認してから電話頂戴ねぇ〜〜〜。

 ま、わしが自分が所属する新極真空手にマイナスになるような事は書くわけ無いのだが・・・・。


2006年03月31日(金)
 結論から先に言おう。
 新極真空手城南支部下丸子道場を辞める。

【設問:次の中から退会理由を選びなさい】
 1.狂牛病に掛ったから。
 2.貧乏で、月謝を払い続ける経済力が無いから。
 3.仕事が忙しくて、通う時間が取れないから。
 4.私は強いので、これ以上強くなる必要が無いから。
 5.自分の弱さを悟り、自信がなくなったから。
 6.酒の飲みすぎで、肝硬変になり黄疸がでたから。
 7.肥満により、動けなくなったから。
 8.栄養失調で、動けなくなったから。
 9.ボケが始まり、道場へ通う道が思い出せないから。
10.道場が、汗臭いから。

 正解は、ご想像にお任せします。


 極真空手で、知り合った人たち子供達と縁遠くなるのは残念ですが、3月一杯で退会します。



 在籍2年。実質通い約8ヶ月。昇級審査受験1回。黄帯。
 これが私の新極真空手の結果です。なんか「縁がなかったのかなぁ」という感は否めないところです。

 あえて此処で名前を列記する事はしませんが、お世話になった皆様有り難うございました。
 2人の子供は、今後も通い続けるので宜しくお願い致します。


 と、まあ、こんな形で小野明良の「新極真空手日記」は、最終章を迎えたのであります。

 もし、これを読んでいる方が存在していたならば、ご愛読誠に有り難う御座いました。
 いつの日か、また違った形でお会いできる事を楽しみにしております。
 では、ご機嫌よう。さようなら。