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2001年10月22日(月)・「喉に仏が」
 昨日、親戚のおじさんの葬式があった。いい式だったと思う。
 おじさんは、大正生まれの80歳。当時の割には大柄(180cm位)。

 火葬場で私は、仏を見た。

   告別式も終わり、桐ヶ谷斎場での火葬の時のこと。生前の姿と最後の別れをし、カマに棺を入れ遺族、親族は 控え室に、いったん引き上げる。
 待つこと3、40分。
 近代的に改装されて間もない、桐ヶ谷斎場で働く女性の
「お待たせしました。お時間でございます。」
という、無機質な声に促されて、位牌、遺影を先頭に収骨に向かう。

 毎日、同じ作業をしている係員の、作業が淡々と進む。
 カマの扉が開き、骨を集める。
 首から上の骨を、係員が選り分ける。
 この時住職が、
「素晴らしい、いい骨が残った。」
 係員が、
「本当、珍しいです。ここまではっきりとしたのは」
 と、喉の骨をつまみあげ移す。
 この時私は、周りに居る遺族へのお決まりの気休め、気使いとばかり思っていた。

 このあと遺族が、長箸を持ち二人一組で骨をつまみ骨壷へ骨を収める。

 遺族全員が骨を移し終わったところで、係員が淡々とした口調で、
「骨がしっかりとしています。」
とか言いながら、残りの骨を壷にシャベルのようなもので、灰も残さず入れる。
 最後に、除けてあった首から上の骨を、上にのせる。

   はじめに、喉骨。
 係員が、
「これが、喉仏です」
 と骨を乗せたとき、再び住職が、
「皆さん、見てください。素晴らしいです。お釈迦様が、座禅を組んでいるような形をしていますから。」
 見ると本当に住職の言うとおり、お釈迦様が座禅を組んでいるように見える。小さな喉骨にお釈迦様の顔まで はっきりと見える。 「私も、こんなにはっきりとした喉仏を見たのは、初めてです。どなたのときも喉仏は、当然残りますが、ここ まではっきりとしたものは、99.9%出ません。どうですか」
 と住職が係員に聞くと、その係員は、
「そうですね、1年にひとつ出るか出ないかですね。」
 毎日何体もの火葬を見ている係員が、めったにこういうのは無いという。

 皆が感心している中、再び作業は淡々と進められていった。

 住職の話を総合すると、火葬は1800度の熱さで焼かれるため、骨がかまの中で踊る。そのため、喉骨も割 れたり欠けたりする。中々きれいな形では残らないのだという。
 だから喉の骨を取り出しても、割れた骨を拾いこれが喉仏ですとさらっと言って、普通は形とかの事には触れ ないらしい。

 私も、何度か火葬に立ち会ったが、何故こんな喉の骨を特別扱いするのだろうと、今まで思っていた。
 なぜ喉骨そして頭蓋骨を骨壷の上のほうに入れるかといえば、ただ頭が、上にあるからだけと思っていた。

 昨日の叔父の火葬で私は、喉仏が、喉骨が、何故喉仏と言われるのか初めて解った。
喉仏とは、本当にお釈迦様の形をしているのだ。
人は皆、喉に仏様を持っているのだ。

 私は、喉骨に仏を見た。
 喉仏。
 叔父さんに合掌


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