トップ・ページ一覧


「オジサンはせんさい」(2008.12)
 年齢を重ね、千年も生きるとおじさんは千歳になるのですよ。
 そして心は繊細になっていくのです。

 人は若い頃、突っ張って、気負って、強がって生きていることが多い。しかし、おじさんになると少し自分を客観的に見ることが出来るようになるのですよ。
 認めたくない自分自身を否定し、目をそむける若さも良いのだが、否定したい自分を直視し認める強さは、年齢を重ねおじさんにならないと出てこないかもしれない。(少なくとも私の場合)
 どこが否定したい自分なのかさえ、気がつくのには時間を要するかもしれない。気がつかないで終わる場合もあるだろう。それはそれで良い。

”強く生きる”という言葉の意味合いも年齢によって変化するものなのですな。
 多分大概の人はとっくに悟っているような事を、小野は最近ようやく言葉ではなく実感として理解し始めているのです。
 いつ死んでも良いと思いつつ、自らの魂や心を生き抜くには肉体の老化は早すぎて人生には限られた時間しかない、と言う事も実感し始めているのです。

 繊細な自分を発見して、いちいち傷ついていられないのが社会でして、繊細かつタクマシクないと人生は辛いものになるばかりかもしれない。


 繊細になると、人の言葉や行動に対しても繊細な受け止め方をしてしまうのですな。
 深読み、裏読み。
 勿論裏付けはないのだが・・・・でも、これが・・・・意外と正しかったりして。
 言った本人さえ気がついていないことに、繊細なおじさんは外側から気がついてしまったりして。
 だから自分の言動は大切にしなくてはいけない、と思うだけは思うのです。

 私は、言葉を大切に使う人が好きです。
 言う事だけ言って、腰の引けた奴、嫌いです。
 だけど、そういう腰の引けた奴が大部分を占めているのが社会なのだな。
 と思う今日この頃です。

 そして腰の引けた小野は日々酔っ払い、無責任発言を繰り返すので御座います。
 あ〜〜こりゃこりゃ。



トップ・ページ一覧