トップ・ページ一覧


「偽・立川談志〜シャレについて」(2008.03)
 mixiと言うインターネット上のコミュニティをご存知の方も多いと思います。
 そこでの出来事です。

 2月、落語家・立川談志(本名=松本克由)を名乗る人物が現れました。
 勿論偽者です。しかし、信じる人も多数いました。
 信じなくてもシャレとして本人扱いする人もいました。

 何故なら、この偽者やたら詳しい。

 かなり近しい人物でなければ分からない事が沢山書き込まれていた。
 しかし、文章のニュアンスは微妙にうそ臭かったりもする。

 そんな感じで盛り上がりを見せたのですが、チョッと盛り上がりすぎたせいか、談志さんの公式ホームページで本人は無関係と声明が発表される。

 当然の事ながら偽者は、信じていた人々の怒りを買いました。
 犯人未特定ながら、ケシカラン!という人々続出。
 ところが、その怒っている人々に対して、犯人と思しき人またはシャレと楽しんでいた人から、
「落語ファンの癖に、シャレの分からない奴等」
等と、反論があったため険悪なムードが漂う。
 落語ファンは大人しいのか、騒ぐとシャレが分からないとまた反論されるのがイヤなのか、大騒動になるわけでもないのですが、後味の悪さだけが残ってしまいました。

 そして、私はお節介ながら以下のような書き込みをしたのであります。

**************************
 20年以上前のこと、三原山が噴火しました。
 沢山の島民が避難して本土に来ていました。

 招待されて避難民が談志さんの落語会を聴きに来ているのを知らなかった談志さんは、避難民を前に枕で、
「いやー、派手でいいねぇ。もっと、どっかんばっかん噴火しねえかなー。一層の事島ごと飛んじゃえば凄いよな。花火はでかけりゃでかいほど良いんですよ・・・」

 一席終えて下がった後再び登場。
 なんか表情が冴えない。

「あのぉ・・・・・スミマセン。―――ホント、スミマセンでしたね・・・・・」
 間。
 場内?
「来てるんですって、、、、、島の方々・・・・・。弟子がね『さすがの師匠でもあそこまでやるとは思いませんでした』って言うから、何がって言ったら・・・・・・・避難してこっちに来てんだって?・・・・・今日・・・ここに・・・」
 間。
「まぁ、なんて言うんすか・・・人の痛みなんて他人はワカラねえって言うか、対岸の火事なんすね、あたしにとっちゃ。――――しかし、当事者を目の前にしてはねぇ・・・・・。スンません・・・反省してます。・・・・その代わりと言っちゃぁナンですが、一生懸命落語やりますんで、多少の気晴らしにでもしてって下さい」

 素直に真摯に詫びを述べ、この後談志さんは、気分を切り替えて落語をやりました。

 20年以上前なので、場所や演目は覚えていません。深川江戸資料館だったような・・・・、違うか。どなたか覚えている方はいらっしゃるでしょうか。

 今回の事で、突然以上のような昔の記憶が、脈絡なく甦ってきました。
**************************

 つまり何が言いたいのかと言えば、
「本人シャレのつもりでも、そうならない場合がある。シャレにならないと判断したら意固地にならず詫びなさい。あなたの大好きな談志師匠が世間的に毒舌と言われようが、シャレに対してはそういう謙虚な考えを持っているのです」
と言う事なのです。
 張本人が誰かなんて興味ないのですが、その方にはそういう部分を理解して頂きたいとは思います。
 なんセ、増してや談志師匠にごく近しい人のようですから。


 TVをはじめ、昨今の時代社会を象徴するかのごとき事件だったと私は考える。
”受ければ何をやっても良い”
”人を傷つけても受ければ良い”
”銭のためなら、何でもやります”
”不快なことも洒落と言って正当化する”
”下品を大胆と履き違える”

 今の社会にはそれを強要する間違った風潮があるのも事実だと思う。
 私は、良いこととは思わない。
 今回の、偽・立川談志騒動でそんなことを考えた。


 ところで、偽・立川談志について私がどう思っていたかと言うと、
(お!師匠mixi始めたんだ!!)
(でも、なんかチョッと嘘くせぇな)
(ま、チョッと乗っかってみるか)
(なんだ偽者か)
(ケッ、受けねぇシャレだ)

 そんな感じでしたかね。

 偽者は、偽者らしくなきゃいけないのですよ!?



トップ・ページ一覧