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「『ロッキー』のDVDを観て考える」(2006.10)
「ロッキー」
 チンピラ無名ボクサーのシンデレラ・ストーリー。

 この映画を観て胸熱くした人、沢山居ると思います。特に私と世代が近い人はこの映画を観て燃えた人間が多いのではなかろうか。
 スポーツをやっている人間の中には、この映画のテーマ曲を流しながら自主トレをやった人も多いのではないだろうか。

 ある有線放送では、一日中ロッキーのテーマを掛けているチャンネルもあった。今でもあるだろうか。

 そして映画同様、無名俳優シルベスター・スタローンのハリウッド・シンデレラ・ストーリー。
 この映画をキッカケに、スタローン氏は一気に大スターの仲間入りをする。

「ロッキー」のDVDを中古DVD屋で見つけた。
 何年ぶりか、いや何十年ぶりかで観る。
 低予算映画なので、所々作りが粗い部分もあるが、やはり名作だ。
 この映画に関しては、語りつくされている感があるので、細かい事は省く。


 DVDにはよくおまけで特典映像と銘打って、メイキング映像とかインタヴュー映像が収録されているが、この「ロッキー」のDVDにも、スタローン氏と監督のインタヴューが収録されていた。
 25年前の、この映画の思い出などを語るスタローン氏と監督のそれぞれ単独インタヴュー。それを観ていて今更ながら、日本とハリウッドの違いを感じる。

 アポロ・クリード役の俳優カール・ウェザース氏がオーディションに来た時の事をスタローン氏が語る。
 カール・ウェザースがスタローンとボクシングの動きをやった時、カール・ウェザースがスタローンの頭をたんこぶが出来るほど殴りつけた話。
 ウェザースとスタローンが読み合わせをやった時、スタローンを俳優と思っていなかったウェザースが、相手が俳優ならもっと上手く読めると言った事。
 その読み合わせの相手が、ロッキー役の俳優でこの脚本を書いたんだと告げられると、じゃあ次はもっと上手く読めると言った事。
 オーディションを終えたカール・ウェザースが帰った後、スタローンは、
「彼を雇おう!アポロ・クリードはあんな男なんだ」

 日本だったらカール・ウェザースのような俳優は、あいつは生意気だ、あいつは現場を引っ掻き回しそうだから、と言って敬遠されるだろう。


 私はよく日本とアメリカの映画界の違いを―――いや映画界に限った事ではないのかも知れないが―――「猿回し」とサーカスの「猛獣使い」に置き換えて考える事がある。
 日本では比較的安全な猿を飼い馴らし訓練して芸をさせる事はしても、危険な猛獣等に芸を仕込む事はしない。海外では獰猛な猛獣も訓練調教の対象になり、熊、ライオン、トラ、象等、見事に芸をする。
 人間のエゴでは在るのだが、人間にとって一見負に思われる強烈な猛獣のパワーを、正の方向に持っていく。
 そんな土壌の違いを感じる。

 ちなみに、かつてアフリカ人の男性に、
「アフリカに行って野生の象を見てみたい」
と言ったら、
「ネイチャー・エレファント・イズ・ヴェリ・ヴェリ・デインジャラス」
と、血相を変えて言われた事がある。


 日本では、功とげ名を成す迄は、事務所、コネクション等のバックの力が強い一部の者を除き、立場的に下位の者は従順、絶対服従を要求されるが、アメリカでは―――それがただ単なる反発では認められ無いが―――反骨精神、自己主張を持つことが認められる。
 個性と個性のぶつかり合いの中から、さらにそれ以上の何かが生まれる世界と、上意下達の世界。そんな違いだろうか。封建制や軍国主義の名残と言おうか民主主義の成熟度の違いだと思う。
 実際、子供向け番組ではあるが日米合作のTVの仕事をやったとき、日米両スタッフと接してその違いを強く感じた。私に意見や考えがあることは、アメリカ側プロデューサーには歓迎され、日本側プロデューサーには嫌われた。
 文化や土壌について良し悪しを論ずるつもりは無いが、私はアメリカ的「猛獣使いのいる世界」の方が、開かれていると感じた。

 ただ「ロッキー」の中で、バージェス・メルディス演ずる老トレーナー・ミッキーが、マネージャーの付いていないロッキーに、
「どんなに良いボクサーでも、良いマネージャーが付いてなきゃダメだ。食い物にされて、使い捨てにされて終わりだ」
といった内容のセリフをぶつけて、バックの大切さを言っている。自由な国アメリカと言われるUSAも、完全実力のみの個人競争が成り立つ程の開かれた所では無いと言う事だ。
 大手が強かったり弱者が虐げられたり、度合いの違いはあれ、人間のどろどろした部分は何処にでもある。
 ただ日本には、「猛獣使い」は居ない。


 私は何故、
「俺は俳優だ」
と言い続けているのだろうと、自問する事がある。
「俳優として社会的に認知されているわけでもないのに何故、仕事も無い俳優業を続けているのだろうか」
と自問する事がある。
 実際俳優として仕事を最後にしたのは、どっかの企業内PR作品で1年位前になる。事務所に所属はしているものの、今後予定があるわけでもない。普段は酒場「ワイルドバンチ」の親爺として日々を過ごす。

 たとえ仕事がなくても俳優という意識を持ち続けると言う事は、実はエネルギーを消耗する。若い頃は気にもならなかったが、近頃歳のせいか疲れ気味でそんなことをよく感じる。容量の少ないパソコンなのに、使わないプログラムを常に起動しているようなもので、パソコン全体の動きが鈍くなる。そんな感覚だろうか。

 中には売れた奴もいる。
 同じ目的を持って頑張っている奴らが、年を追うごとに夢半ば志半ばにして映画界を去っていった中で、半引退状態の自分が何故、
「俺は俳優だ」
と言い続けるのか。

 何故、宙に向かってパーパー言い続けるのか。叫び続けるのか。吠え続けるのか。
 私は、自問する。

 若いと言われる時期は、根拠の無い自信に満ち溢れていた。しかしもうそんな時期は過ぎ去った。若い時はパソコンの容量も今よりデカかった。
 なめた奴には頭を下げず、自己主張をして排除され、衝突は腕力と言うか眼力で排除していた若い頃。悪戯に腕っ節がある事は、反対者を潜伏させる事になり、陰で嫌がらせを受ける事にしかならなかった。

 自分の意志を通すために必要な、あらゆる面においての実力に欠けていたと言う事も認めるが、悲しいかな主導権は自分には無い。個の限界。老トレーナー・ミッキーの言う「バックの必要性」。

 今はかなり丸くなり、多少日本社会も学習して、
「いつもニコニコ我慢我慢、自分の意見はオブラートに包み、何があっても忍耐忍耐」
って、そんなことできるわけネーだろ!
 牙を磨くのが正しいのか、牙を抜くのが正しいのか。私は牙を磨くのが正しい在り方だと思っている。

 去勢なんかされてたまるか!

 早い話俺は、日本的には生意気でエラソーなのだ。

 最近人生ちと学習して、牙を隠すと言う方法があるらしいことを知った。
 だが、そんな小器用な事俺には出来ない。する気も無い。
 飲食店を営んだり、年齢を重ねる事によってそんな雰囲気も少しは出てきたらしいが・・・・。

 確かに、日本刀を抜き身で持って歩いていたら、誰も近づかないな。ちゃんと鞘に入れて持ち歩くって事か。
 そんな感じかな。そんな考えもあるな。
 でも俺、自分じゃぁ紳士だと思っているのだよ。
 ちょっと品格には欠けるかも知らんが、紳士なのだよ。周りの人もそう思っていると思う。ただちょっと我が強くて我がままで、ガンコで融通が利かなくて、気が短くて、他人の言うことに耳を貸さなくて、考え方が偏っていて、礼儀を知らなくて、節度に欠けて、見栄っ張りで、シャレが通じなくて、負けず嫌いで、性格曲がっているだけなのだよ。フゥー。

「猿回し」と「猛獣使い」

「日本刀」と「鞘」

 どんな風に考えればいいのやら、日本と言う国の中では、後者の方になるのだろうか。
 嫌な事を悟っちまいそうだから、考えるのヤメタ。

 ま、客観的に見て、俳優として社会的に評価されているわけでは無し、実力が評価されているわけでも無い。肉体的にも「体が追いついていかない」年齢に差し掛かっている現状なのに何故、俺はしがみ付く様に言い続けるのか。
 俺は自問する。



 今、私は自分が生活に追われていると思っている。
 手強く強大な現実に押し流されていると思っている。
 そして、生活も俳優業もお店も、何もかも中途半端なんじゃないの?と思っている。
 こんな状態でいいの?と思っている。
 そんなことを考えていると、別に芸能界で活躍したわけでもないのだが、引退する、辞めると言う考えが頭をよぎる。もう無理なんだからすっぱり踏ん切りをつけて、お店だけに集中するべきなんじゃないの、と頭をよぎる事がある。
 そしてそこでまた
「何故俺は、俳優だと言い続けているのだろう」
と思う。

「自分で選んだ道だから、何があってもやり続ける」
と言う、意地のようなものもある。

しかし、
「やるべき事はやっただろうか?」
「まだ何か努力が足りないんじゃないだろうか?」
「俺は、100パーセント、いやそれ以上努力しただろうか?」
「まだ、何かできるんじゃないか」
「やり忘れている事があるんじゃないだろうか」
「辞めたら、後悔しないだろうか」
「完全燃焼しただろうか」
取り留めもなく、つらつらと考える。

 そしてある結論に達する。
「自分の中で、完全燃焼した感覚が出たり、踏ん切りが付いたら、そのとき辞めればいいんだ」
 まだその時期では無い。だから続ける。叫び続ける。吠え続ける。
「明日のジョー」のように真っ白になっては居ない。
「俺は、まだ完全燃焼していない」

「いや!」

 その直後、次の結論に達する。
「真っ白になったと思ったり、完全燃焼して辞めようと踏ん切りが付いた感覚が自分の中に生まれたり、そんな考えが生まれそうになったら、そいつは何かの勘違いだから無視しよう」


 そして悟った事。
「いいんじゃない。評価や人の目なんか気にせず、どんな状態でもやり続ければ」
 人気商売と言われる職業なのに、人目を気にしないと言う矛盾と自己満足の世界。それがどーした。

 其処には、揺れ動いた割りにいつもと変わらぬ所に戻っている自分が居た。


「ロッキー」の中古DVDを見てそんなことを考えた。



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