トップ・ページ一覧


「トゥールダルジャン・ランニング・オート〜もったいない話」(2004.11)
 題名解説。
 トゥールダルジャン・[フランス語]銀の塔の意
 ランニング・[英語]走る。現在進行形。
 オート・[日本語]???


 「ラ・トゥールダルジャン」
 知っている人も多いだろうが、知らない人もたくさんいるだろう。
 フランス料理の名店である。
 歴史ある高級店である。
 詳しく知りたい人はインターネットで検索すれば、色々と出てくるだろう。

 以下は、トゥールダルジャンを検索した時に見つけた、どこかの解説の抜粋である。無断転用ご免チャイ。

 「1582年、ノートルダム寺院を臨むセーヌ川のほとりに誕生。4世紀の時間の流れの中で磨かれた料理の数々が、各国の王室やセレブリティの方々に愛されてきた。  19世紀末、フレデリック・デレールは手がけた鴨の一羽一羽に番号をつけるというアイデアを実行に移した。1921年6月21日、当時、皇太子であられた昭和天皇を53,211羽目の鴨で、そして1971年2度目の来店は423,900羽目の鴨でもてなした。(鴨はフランスロワール地方で特別に飼育された物だけを使用)  有名な鴨料理など400年の歴史の中で培ってきた財産を生かしながら、美味への追求を続けるその料理は、『料理という芸術に際限はない』という現オーナー、クロード・テライユの 言葉を体現するものである」

 東京のホテル、ニューオータニにも支店があるようだが、私はパリの店のことを書く。
 私の話ではなく友人I氏の話であるが、意味も無く私が気に入っているエピソードである。
 本人と奥さんから直接聞いた話である。

 ちなみに私は2004年(平成16年)11月現在、「トゥールダルジャン」に行った事は無い。



 どこから始めよう。
 ・・・・・そう「ラ・トゥールダルジャン」は、フランス料理の名店であるらしい。私は行った事が無いので美味い店だとかこんな店であるとか断言できない。
 ただ、一般庶民のレベルから言うと、高い店なのは間違いないようだ。
 一羽一羽番号を振った鴨料理が有名なのは私も知っていた。私の知識はそこで終わる。それ以上何も知らない。

 私の中のトゥールダルジャンのイメージは、
「鴨料理が有名なパリの高級レストラン。きっと高い=金持ちが行くところ。行儀よく洗練された立ち居振る舞いが出来ない人は遠慮するべきところ。 でも有名店だから、田舎者とか、観光客が沢山いるであろう店。日本人観光客なんか行ったら、『ケッ』なんて小ばかにされつつも、ノーと言えない日本人は金持ってるいいお客さんだからバンバン高いワインとか勧められたりしそうな店。フランス料理だからソースは美味いだろうが、素材は日本人の口に合うかわからん。 それでも『あぁ、ほんと〜〜に美味しかった』なんて知ったかぶりして言わなくてはいけないお店。」
 これはあくまで私のイメージで、実態とかみ合うかは知らん。


 Iは、私がそんなイメージを持つ「ラ・トゥール・ダルジャン」にかつて行った事があるのである。
 新婚旅行でヨーロッパを回った時に、寄ったのである。

 皆さんご存知のように、日本人の新婚旅行は、たいていの場合過密スケジュールが組まれている場合が多い。
 特にヨーロッパ巡りをする人は、過酷な日程を組むようだ。
 最近でこそゆったりスケジュールのツアーなんかも用意されているらしいが、旅行会社もお客さんの希望をかなえようと、盛りだくさんのメニューを用意する。
「あそこが見たい、どこが見たい、あれが食べたい。」

 そして多くのカップルは、過酷で激しい新婚旅行に旅立つ。
 時差がかなりあるので、体力的に疲れる。
 言葉も習慣も違うところに行くので、精神的にも疲れる。
 短期間に強行軍で色々な名所旧跡を巡り、高級ホテルに泊まり、高級レストランで食事をする。
 夜は夜でお勤めがあるから、休まる時が無い。
 たぶん仕事でもそんなに精力的に動いた事は無いだろうに・・・・・、新婚旅行とは気合と根性で乗り切るモノのようだ。
 欲張りなんだな。ま、次はいつそんな旅行に行けるかわからないから、どうしても詰め込みたくなってしまうのだろう。


 Iも御多聞に漏れず、激しい過酷な新婚旅行だったらしい。

 結構疲れがたまっている、新婚旅行も終わりに近いパリ。

 魅惑の街パリ、憧れの街パリ、芸術の都パリ。
 エッフェル塔に上って、美術館に行って、シャンゼリゼ通りを歩き、そのままホテルで寝ればいいのに、夜はディナー。
 そして次の日も午前中から動き回り、一日中動いた後、重たい贅沢なディナー。
 昨日もディナー、今日もディナー、明日もディナー、毎日ディナー。
 贅沢三昧。夢のハネムーン。

 勿論奥さんと常に行動は一緒である。
 こういう時は、女性がかなり精力的でパワフルに行動することが多い、とよく聞く。
 旦那衆は、それに引っ張られるようにくっついて回る。

 何カ国か回って、疲れもかなりたまった状態でのフランス。
 しかしそこは待ちに待ったフランス。疲れなんて感じないし、吹っ飛んでいる・・・・・つもりになっている。



 Iは、そんな状態で元気な奥方とセーヌ川のほとり高級フランス料理屋「ラ・トゥールダルジャン」に突入したのである。
 待ちに待ったディナー。奥さんが絶対行くんだといって予約を入れたトゥールダルジャン。現地時間午後5時ごろ入店。
 Iのいでたちは、高級店に負けないくらいのスーツ。ビシッと決めたジェントルマン、いやフランスだからビシッと決めたムッシュー。
 奥さんは、ラメラメのピカピカ光るキンキラキンのドレス。手にはこの日のこのトゥールダルジャンでのディナーの時持って行くために買った、シャネルのバッグ。ビシッと決めたマダム。
 
 席に案内される。店内は申し分の無い雰囲気。
 壁にはなんと、昭和天皇夫妻の写真。
 Iと奥方は、ちゃんと下調べしておいたここのお店の看板メニュー「鴨料理」を注文。
 その他色々頼んだらしいが、詳しく何を注文したか私は知らない。

 そしてビールを頼む。
 Iは酒は馬鹿に強いほうではないが、決して弱くは無い。
 始めにビールを飲み、前菜を食べる。
 ビールの次に赤ワインをボトルで注文。
 ソムリエがワインを注ぎに来てフランス語でペラペラ何か言う。
 勿論Iは、理解していない。しかし満面の笑顔で、
「ウィー」
ソムリエは、満足そうに立ち去る。

 前菜、スープから、ワインを飲みつつフランスパンを食べ、メインの鴨料理を待つ。
 疲れて喉が渇いていたせいか酒の吸い込みもよく、かなりハイペースで飲んだらしい。
 奥さんは味見程度で、そのボトルの殆どはIが片付ける、というかガブガブと飲んだ。らしい。
 実際かなりそのワインは値も張るが、美味しいワインだったようだ。Iはそう言っていた。
 彼はワイン一本で酔いつぶれるような男ではない。

 そしてメイン料理の鴨が運ばれてくる。
 ギャルソンが、なにやらペラペラ話しかける。
 勿論無理解のIは、再び満面の笑顔で、
「ウィー」

 半分ほど食べたところでワインのボトルが空になる。
 水を注文。
 向こうは日本と違って、水も有料である。
 このとき彼は、ネクタイを少し緩めた。

 奥さんに言わせると、今思えばこの頃から少し様子がおかしかったと・・・。

 水で流し込むように鴨料理を食べると、Iが、
「ちょっと気分が悪い」
と言い出した。

 それでもIは、奥さんが食べ終わるのを待っていた。
 そして奥さんが食べ終わると同時に、
「出るぞ」
「えー?まだデザートと、食後のコーヒーが・・・・」
「いいから出るぞ。―――すみません!」
彼はいきなりギャルソンにお会計を命じて、立ち上がった。
 やはりギャルソンは、これからデザートとコーヒーが・・・・みたいな事をいっていたらしい。
 Iはそんな声を無視して立ち上がった。
 このときばかりは笑顔で
「ウィー」
は無かった。
 いそいでお会計を済ませて、外に出る。勿論向うの習慣のチップなんか忘れて・・・・。
 しかしIは、チップをやるのを忘れた事を思い出した。
 Iは、クロークで100フラン札を投げるように渡した。
 そして店から飛び出した。

 この旅行中引っ張られているばかりのIが、初めて奥さんを引っ張って外に出た。
 先に行動をした。
「ねぇ、どうしたのよー。もー」
奥さんが背中に問いかけるも、答えもせずにIは行動した。訳も分からず後を追うラメラメキンキラ奥さん。

 そして店から出るなり彼は走り出した。
 追うラメラメキンキラ奥さん。
 一体何があったのだ?
 どこかに向かって走り出した。
 何処に行きたいのだ?
 ―――彼が目指したのは、道の端っこだった。
 彼は何をしたいのか?
 店を出るなりIは10秒程走った。
 猛ダッシュした。
 しかしそれを見ていた奥さんは、それを次のように表現した。
「店を出て、2〜3秒ふらふらしていた」

 Iは・・・・・目的地まで到達する事が出来なかった。
 彼は、トゥールダルジャンを出てすぐのところで事切れた。別に心臓麻痺で死んだわけではない。気絶したわけでもない。
 そうIは・・・・・・、道の真ん中で・・・・・走りながら・・・・・ビシッと決めた正装で・・・・・【げろ】・・・・・を吐いた。フランスはパリの路上で走りながら嘔吐した。
 そこはトゥールダルジャンの中からよく見えるところだった。

 高級ディナーを食べている人達をガラス越しに見て走りながら嘔吐した。
 いやきっとそんなものは目に入らなかったであろう。

 店の中からその光景を見ていた人たちは、そのとき何を思っただろう。
(あの東洋人かわいそうに、大丈夫かしら)
と思ったか、はたまた
(あの馬鹿、目の前で)
と思ったか。

 とに角Iは、道の隅の方でしゃがんで嘔吐しようと走り出したのだったが・・・・間に合わなかった。

 高級店で食事をしていた男が、食事が終わるや否やお店を飛び出し、高級店の店先で、今食べたものを全部吐き出した。
 なんだこれは?お店に対する新手の嫌がらせか。
 翌日の新聞の見出しは、
「高級料理店トゥールダルジャンで食中毒!」

 いや・・・・・そうじゃないんだ・・・・・Iは体調が悪かっただけなのだ。
 疲れがたまっていただけなのだ。
 普段ならなんとも無い量の酒が、微妙に効いてしまっただけなのだ。


 Iにとっては、ちょっと苦しい苦い体験だった。
 日本で言えば、銀座の真ん中で紋付袴の外人がげろを吐いているようなものだ。
 だがしかし・・・・・しかし、わたしは思う。

 もったいない!

 Iは、胃袋の中に詰め込んだ日本円にして時価数万円もするディナーとワインとを瞬時にして道に撒いてしまったのだ。
 なんと高級な吐瀉物。
 高級ディナー後の嘔吐は、分析すればその内容も高級なわけだ。
「数万円分の高級吐瀉物だよ、誰か千円でいいから買っておくれ」
といってみても、100%誰も買ってくれないだろう。
 平たく言えばただのゲロだ。
 人間の体とは、高級ぜいたく品を一瞬にして無価値のものにしてしまう能力があるという事を、私は改めて学習した。
 考えてみれば「食」とは、元来そういうものだ。
 もっと深く考えれば、生物の食物連鎖の一環で、無価値とまでは言えないが。

 Iは、食べたものを自分の体内に取り込む事に失敗してしまった。
 あーーー、もったいない。
 これが駅前の立ち食いそばなら、あまりもったいないと思わなかっただろうか。
 どうだろう?

 嗚呼、数万円の食事・・・・・豪華ディナー・・・・・。
 瞬時ばら撒き・・・・・。
 なんと贅沢な嘔吐・・・・。
 ちょっと変わった贅沢な瞬間。
 私には、もったいなくて真似出来ない。
 数万円を吐き出すなんて・・・・・。

 決してやりたくてやった訳じゃあ無いのだが・・・・・。

 日本のことわざ、
「覆水盆に返らず」
「吐瀉物腹に返らず」


 そして私は、この事件をこう名付けた。

「トゥールダルジャン・ランニング・嘔吐」



  2人に聞いた
―――調子悪かったのか?
「そのときは分からなかったけど、後から思えばかなり疲れていたんだと思う」

―――悪いもの喰ったのか?
「いや、そんな事は無いと思う。多分胃が疲れていたんだと思う」

―――美味かった?
「途中までは。途中から味は分からなくなった。ワインは口当たりよくて美味かった。それで飲むピッチがちょっと早かったかもしれない。」

―――飛び出さないで、トイレに行けば良かったんじゃないの?
「今思えばそうなんだけど、あの時は外にいくことばかり考えて、トイレに行く事は考え付かなかった。それにもし思いついたとしても、訳分からないフランス語で手間喰っているうちにその場で吐いていたと思う」

―――あの後どうした?
「その場から早く逃げ出して、ホテルに戻って休んだ」

―――奥さんは、どうしてたの?
「もう訳分からないの、あきらさん(ちなみにあきらさんは、私の事)。まだデザートとかコーヒーとかあるのにいきなり行っちゃうんだもん。勝手にどんどん行っちゃうから、追いかけたのよー。そしたらいきなりあれでしょー」

―――吐いた後は?
「もう恥ずかしくって、あきらさん。もう彼置いてその場から逃げ出したい位だったんだけど、そうも行かなくって。そうでしょーあきらさん。」


 2人は、今現在仲のよい夫婦です。



 ちなみにこの文章中、記憶のあいまいなところなどは、私が勝手に書いた。

 


トップ・ページ一覧前ページ次ページ