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「立川談志に学ぶ」(2001.10)
 今では殆ど行けなくなってしまったが、私は特に20代前半から30代半ば位までかなり落語を聴いていた。
 新宿末広亭、池袋演芸場、上野鈴本、浅草演芸場、国立劇場演芸場。そしてホール落語。
 ペースとしては、多いときで月に10回位、少ないときで月に2回位。
 暇な時には、昼前から夜の9時半まで末広亭に居る事もよくあった。

 テレビでは、トレンディー・ドラマと言われる作品群がブームだった時期だと思う。
 私は俳優として、映画、演劇、落語を鑑賞する事を3本柱として重要視していた。無論それだけでは無いが。
 テレビに出ない、一般には無名の実力者達の芸を勉強するのだ、という自負意気込みの元に、寄席通いをした。
 そして欠かさず行っていたのが、東宝名人会。そして初期の頃の「談志一人会」他。

 数居る落語家の中で私は、故古今亭志ん朝さんと立川談志さんが好きだった。
 一時この二人が出るときは、可能な限り追っかけて聴いていた。
 二人は私にとって、落語界における「馬場・猪木」のように映っていた。
 私にとって「志ん朝さん=馬場さん」「談志さん=猪木さん」に近いものを感じていた。この事はいつか述べるとするが、 今は、置いておく。

 落語や落語家から学んだものを列挙したら切りないが、「毒舌、わがまま、ヤンチャ坊主」と世間から言われている談志さんから 学んだ物の一つを、ここに上げる。


「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」
 出囃子に乗って高座の座布団まで行くとき、談志さんは何やら客の方を見てぶつぶつ言っている。
 小さい声で
「いらしゃいませ、いらしゃいませ、いらしゃいませ、、、、、、」

 落語が終わって緞帳が降りるとき、降り切るまで談志さんは頭を下げながら何やらぶつぶつ言っている。
「ありがとうございました、ありがとうございました、ありがとうございました、、、、、、」

 きっとお客さん一人一人に言いたいのだろうという気持ちが伝わってくる。
 勿論、トリを取った噺家はみな同じように、緞帳が降り切るまで「有難う御座いますと」言っているのが普通だ。

 他の落語家と何か違うのか。

 同じだ。

 いや、違う。
 抽象的な言い方になるが、言葉に込められている「気」が「気持ち」が違うのだ。
 言葉における言霊という考え方になるのだろうか。
 言葉の重みとか云う物になると思う。

 この言葉に込められたエネルギーの量が、同じ言葉を発しても人それぞれ違うのだ。
 ここに差がある。

 あの「やんちゃで、毒舌の談志」が、実はこんなにお客さんに感謝しているのだ。
 それが伝わる言葉を談志さんは、使っている。
 そんな言葉を発する事が出来る。

 高座に遅刻する。
 途中で気が乗らないと止めてしまう。
 そんな談志さんを私は実際見ている。
 そんな無責任な行動をする人間が、実はとてもお客さんを大事にしているという、全く正反対の矛盾した人格を同居させているのだ。
 お客さんに甘えている部分も多々あるだろう。しかし談志さんは、お客さんにほんとに感謝しているし、自分を聴きに来る、見に来るお客さんを愛しているのだ。

 客は、本能的に立川談志に愛されている事を感じ取るから「毒舌、やんちゃ」の談志さんを好きなのだ。
 無論私もその一人だ。
 勿論、芸人だからその根底には芸がある。
 いくら感謝する気持ちがあっても、見せる物が無ければ人は寄って来ない。
 また談志さんは、嫌な客や失礼な客には「帰れ」という、厳しい姿勢を併せ持っているのも事実だ。


 さて話を元に戻すと落語家で、出るときの「いらっしゃいませ」を言っている人は、私の記憶の中に、談志さんしか居ない。
 ここ数年あまり寄席には言っていないが、今そういう噺家さんは、芸人さんは居るだろうか。(勿論位置についてからは「本日は、お運び有難う御座います」と皆言っている)

 ちなみに志ん朝さんは、緞帳が降りる時、日によって違っていたような気がする。
「ありがとう御座いました、ありがとうございました。お忘れ物の御座いません様、お気を付けてお帰り下さい」
 と繰り返していたり、
「雨で下がぬかるんでいるのでお気を付けください」
 と言っていたりした。

 ファンあっての自分。
 御客様あっての自分である。
 これは、どんな仕事にも通じるものだ。どんなにいい物を作っても買ってくれる人が居なければ成り立たない。
 スポーツマンがどんなにいいプレーをしようが、芸人がどんなにいい芸を披露しようが、見てくれる人が居なければ成り立たない。
 故三波春夫氏は言った、
「お客様は、神様です」
 


 私は、いまお好み焼き屋を営業する中で、お客さんに対し談志・志ん朝的感謝の気持ち、愛情を持ち、表したいと努力している。
 勿論根底には、美味しいものを提供するという大前提がある。

 現代日本において、完全自給自足の生活をしている人は、皆無と言っていいだろう。皆持ちつ持たれつ生活をしている。
 相手に対する、尊敬と感謝の念を忘れてはいけない。
 仮に自給自足で、人の世話にならない人が居たとしても、大自然の恵みに感謝をしているだろう。
 一見、傍若無人に見える談志さんから、私はそんな感謝する事の大切さを学んだ。
 


余談

 談志さんは最後に下げを言って緞帳が降りた後、再び緞帳をあげさせて一言云うのが恒例だった。(今はどうだろう?)
 ある時、これで今日はお終いとなった後に、緞帳を下げずに
「今日は、ここから皆さんをお見送りさせて頂きます。有難う御座いました。」
 と言って、舞台上から客を見送ろうとした事があった。

 しかし、誰も帰らない。

 何度か、客をうながす談志さん。

 ぽつりぽつりと立ち始めるが、ほとんど帰らない。

 とうとう諦めて談志さん、
「しょうがねえな、やっぱり幕下ろすよ」


 心意気は分かるが、舞台から客を見送る作戦は失敗に終わった。
 以後、この作戦が試されたという話はきかない。
                          


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