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2006年11月03日(金)・「良久会」
 昨日は飲み会、【良久会】(りょうきゅうかい)。

 良久と言うのは、私が新宿、自由が丘でお好み焼き屋をやっていたときの屋号。
 しかし、会はお店とは関係なく立教大学日本拳法部OB有志の集まり、プラスα。
 会長は、後輩の細田君。後は全部ヒラ。会の命名者も細田君。
 会に規約のようなものは一切なく、別に会員かどうかも誰一人として自覚はない。
 来たい者が来たい時に来られる時に来る。ただの突発性の飲み会。


 私が、拳法部の監督をやっていた頃の事。
 多摩川のサイクリングコースを走り終えて、河原で六尺棒を振り回し、公園でストレッチをやっていると、向こうの方から汗まみれで歩いてくる人在り。
 なんと、ウォーキングをする拳法部の先輩の三留さん。私が現役の時、拳法部のコーチだった方。

「あれ!」

 お互いびっくり。
 先輩の家は、私の家から4駅ほど多摩川の下流だった事を、思い出す。
 お茶でも飲もうよと誘われ、近くの喫茶店へ。
 これが良久会の原点。

「お前今監督やってんだよな」
「ええ、そうなんですよ」
「今度俺も顔出すから」
「是非お願いします」

 それから数年数回、時々多摩川でばったり会って、お茶を飲む。
「なかなか行けなくて悪いな」
「いえ、お時間が取れたら是非」
と言いながらも、試合会場などには顔を出してくれていた。

 ある日、多摩川べりを走っていると、向うから歩いてくる三留さん、
「近頃行けなくて悪いな」
「あ、先輩、私監督辞めましたので」
「え!?」
その晩飲みに行った。

 私は、監督をクビになっていた。

「店が忙しい事にして、監督を辞めてくれ」
「どういう事ですか」
 その理由は、虚偽と欺瞞と詭弁に満ちた不愉快極まりないものであった。
「お前をクビにするとOB会が揉めるから、自分から辞めると言う事にしてくれ」
 なめた事言ってんじゃネーよ。
 私は、地位とか肩書きにこだわる方ではない。しかし、
「お断りします。更迭、罷免なら勝手にやって下さい。でも辞任は致しません。私は、自ら辞める事は致しません」
 大事な時期だった。
 ぼろぼろだった部を、押し付けられるような形で監督を受け、ようやく形が整い、これから全国優勝へ向けて動き始めるという時期だった。

 私は、拳法部と縁を切った。

 そんな顛末をその日飲みながら三留さんと話した。

 暫くして後輩の細田君が、
「先輩、飲みませんか」
と声を掛けてきた。
 私には、私と繋がりがあることは後輩の不利益になるのではないかと懸念があった。が、誘われるまま数名の後輩と飲んだ。

 そして、三留さんも含めてこの飲み会が不定期的に10年程現在まで続いている。


「俺は、(おめぇらの事)一生忘れねぇから」
酔うと私の口からこの言葉が出る。

 何を話すでもなく、他愛のない集まりである。ただ飲むだけ。
 なんとなく続いているので、
「細田、この飲み会に名前をつけろ。どんな名前でも良い。お前が決めろ。あ、あとお前が会長な」

 一年位かかって細田君は、
「良久会」と名付けた。
 丁度、私の店自由が丘「良久」を閉めた時だった。



 ちなみに昨日の参加者は、三留、富永、石井、細田+奥さん+奥さんの友人、重見+重見の後輩、俺。(敬称略)
         


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