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「苦しいときは『ラ・マンチャの男』」(2003.09)
The Impossible Dream(見果てぬ夢)作詞●ジョオ・ダリオン/音楽●ミッチ・レイ

 To dream,the impossible dream  不可能を夢見る事
 To fight,the unbetable foe  不敗の敵に戦いを挑む事
 To bear,with unbearable sorrow  絶大なる悲しみに耐える事
 To run,where the brave dare not to go  勇者でさえ行こうとしない所へ駆け付ける事

 To right,the unrightable wrong  巨悪を正す事
 To love,pure and chaste from a far  彼方から清純と貞節を愛する事
 To try,when your arms are too weary  疲れ果てていても挑戦する事
 To reach,the unreachable star  届かぬ星に手を伸ばす事

 This is my quest  これが私の求めるものである
 To follow that star  星を求め
 No matter how hopeless  望み薄くとも
 No matter how far  どんなに遠くとも
 To fight for tha right,without question or pause  疑問やためらい無く正義のために戦う事
 To be willing to march into hell for a heavenly cause  神聖なる大義を求め地獄へも喜んで進む事

 And I know if I'll only be true to this glorious quest   私がこの栄光ある目的に正直であったならば
 That my heart will lie pieceful and calm when I 'm laid to my rest  人生の休憩の時も私の心は平和で穏やかでいられるだろう

 And the world will be better for this  こうすれば世界は良いものになるだろう
 That one man scorned and cover with scars   人はさげすまれ傷だらけになろうとも
 Still strove with his last ounce of courage  最後のわずかな勇気をも振り絞って努力するのだ
 To reach the unreachable star  届かぬ星に到達するために




 この詩は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の主題歌「見果てぬ夢」である。
 訳は私が、勝手につけた。歌のメロディには乗らない。
 原詩の内容を表現できているかは、責任を持たない。


 人は、この歌の内容にどこまで近付くことが出来るだろうか。
 どこまで己を、昇華させる事が出来るだろうか。
 私は、この作品に出会っていなかったら同じ生き方をしていただろうか。


 私が、初めてこの作品に触れたのは、確か中学一年位の時である。
 そのときはピーター・オトゥール主演、共演にソフィア・ローレンで映画化された作品だった。監督は、アーサー・ヒラー。
 どこかの二番館で2本立てとか3本立ての内の一本として観た。昔渋谷にあった全線座だったような気がする。
 内容が3重構造ともいえるこの作品は、中学一年生だった私には少し難解だったような記憶もあるが、とにかく感動した。

 その後、舞台が基になっていることを知った。
 今考えればミュージカル映画は、そのほとんどが皆舞台の映像化なのだが、当時の私はそんなことは知らなかった。

 さらにその後、日本では市川染五郎(現・松本幸四郎)ですでに舞台化されていたことを知った。
 勿論、観に言った。
 市川染五郎時代に二回。
 松本幸四郎になってから二回。
 今も東宝のドル箱として、上演回数記録を更新中だ。
 松本幸四郎氏自身で演出もするようになったりもした。

 映画は映画館で何度も観て、後にビデオ化されてからは勿論手に入れかなりの回数を見た。



 ドン・キホーテとセルバンテスそしてボケ老人の三人を一人で演じる人間を主人公にしたこの作品の内容は、上の詩に全て凝縮されている。
 が簡単に説明する。


 その作品内容に問題があると、逮捕された作家セルバンテスが牢屋に入れられるところからこの物語は始まる。
 持っていた自分の大事な作品を牢名主に取り上げられたセルバンテス。
 それを燃やそうとする牢名主。
 それを取り返すために、本当の裁判の前に牢名主の擬似裁判を受けることになる。
 擬似裁判で無罪なら、作品はセルバンテスに返却される。
 セルバンテスは自分でその作品を演じながら自己弁護を進める。
 獄中にいる人たちを即席の俳優にして物語は進む。


 キハナというボケ老人が自分を遍歴の騎士ドン・キホーテと思い込み、サンチョ・パンサを連れて旅に出る。
 売春宿を城、売春婦(アルドンサ)を姫(ドルシネア)だと思い込んだ老人は、そこにいるならず者達を相手に騎士道を貫こうと大活躍。

 騎士道とは?
 遍歴の旅とは?
 アルドンサに問われ「見果てぬ夢」を説くドン・キホーテ。
 城主つまり宿の主から「憂い顔の騎士」という称号を貰うドン・キホーテ。

 騎士の称号を貰い、達成感と共に城を後にするドン・キホーテとサンチョ・パンサ。
 遍歴の旅は、続く。

 しかし一方、老人を連れ戻そうと必死の家族達。
 ついには連れ戻されてしまうキハナ老人。
 家族が扮する鏡の騎士に、鏡で現実を、自分の顔を見させられたドン・キホーテは、自分が老人であること知ってしまう。

 キハナは鏡の自分を見ながら現実に引き戻され昏倒する。
 可哀想ではあるが、止むを得ない事だったとする家族。

 すると丁度その時、セルバンテスの宗教裁判開始を伝える声が牢獄に響く。

 時間が無いから早く物語を終わらせろと、せかす牢名主。
 しかしセルバンテスは言う、
「これで終わりだ」

 物語は其処で終わる。
 牢名主はじめ不満げな囚人達。

 牢名主は、そんな結末は気に喰わねぇと、有罪を言い渡す。
 作品は没収、焼却。

 必死に作品を取り戻そうとするセルバンテス。
 だが牢名主は、こんな結末は有罪で作品は火にくべて燃やす、とする。
 食い下がるセルバンテスは、即興で結末を作り直すから待ってくれと懇願。

 セルバンテスは結末を変更する。



 舞台はキハナの家。家族に囲まれ死の床にいるキハナ。
 遍歴の旅は夢か妄想だったと思い込んで死の淵をさ迷うキハナ老人は、遺言を筆記させている。
 が、もう目の前の光にも、反応しなくなっている。

 見舞いに来ているサンチョに、遍歴の旅の話はするなと釘を刺す家族。

 ところがそんなキハナの死の床に、家の者の制止を振り切り売春婦のアルドンサが飛び込んで来る。
 目の前のキハナに必死に語りかけるアルドンサ。
 しかし反応はあまり無い。

「あんたのおかげで、あたしの人生は変わった。思い出しておくれ。頼むよ」
 ドン・キホーテに教えられた、見果てぬ夢をつぶやくアルドンサ。
「To dream,・・・・the impossible dream
To fight,・・・・・・the unbeatable foe・・・・・」
 まぼろしと現実が交錯する中でキハナ老人は、自分の中で何かと必死に葛藤する。
 何が現実で、何が幻か必死に探すキハナ。
 家族の者の制止も聞かず続けるアルドンサ。
「To bear,・・・・・with unbearable sorrow・・・・」
 そして遂にキハナは、記憶をよみがえらせる。
 見果てぬ夢を聞いて、キハナは思い出す。
 何が自分にとっての現実だったか、全てを思い出したキハナ。


 勇気凛々力強く立ち上がったキハナ老人は、サンチョに旅立ちを伝えドン・キホーテは復活する。
 ドン・キホーテ奇跡の復活。
 狂喜するサンチョとアルドンサ。

 しかし復活したかに見えたキハナの肉体に、もはや力は無かった。
 ドン・キホーテはその場に倒れ、そのまま事切れる。

 臨終。

 ご主人様がなくなったと、キハナの家の前で悲しむサンチョ。
 そんなサンチョに、
「ドン・キホーテは生きている。信じるのよ、サンチョ!」
 といってドン・キホーテを胸に生きていくことを誓うアルドンサならぬドルシネア。


 セルバンテスは結末をこう変えた。

 牢名主は言った。
「・・・無罪」

 作品を取り戻すセルバンテス。

「ドン・ミゲール・デ・セルバンテーーース」
 直後に役人がセルバンテスの名前を呼ぶ。
 本当の裁判の時がやってきた。


 牢名主は、
「ちゃんと説明できれば、いい結果になるだろう」
と言葉を送る。

 臆するかに見えるセルバンテス。
 しかし、意を決しサンチョと共に階段を登るセルバンテス。
 囚人たちの「見果てぬ夢」の大合唱に送られてセルバンテスは裁判へと向かう。


 以上が「ラ・マンチャの男」大筋である。



 いつも強がっている私だが、心が弱くなっている時やめげそうな時には、この歌の歌詞を思い出す。
 そしてもっとめげそうなときは、ビデオを見る。
 今現在も、近頃のこの平成大不況という時代に押しつぶされないために心の中で歌い続けている。
 今までも、苦しい時や辛い時めげそうな時にはこの歌を歌って乗り切ってきた。
 そうして何とか、人生からドロップアウトすること無く今日まで辿り着いた。

 「俳優」という夢を追い続けていなければ、今の私はどうなっていたのだろうと思うことが時々ある。
 サラリーマンだろうか?
 ヤクザだろうか?
 ホームレスだろうか?

 「夢なんか追ってるから、お好み焼き屋をやっているのだ」
 善意、悪意、好意、憎悪、羨望、ヒガミ、ヤッカミ、蔑み、その他あらゆる感情を込めてこう言う人も少なからず居た。
 しかし私は誇りを持ってお好み焼き屋をやっている。お好み焼き屋を営むという事によって現実に流されそうになることも多々あるが、そうする事によって夢に挑む自分を支えているのだ。
 もしかしたら、私は強大な現実に徒手空拳で立ち向かっているのでは無いだろうか、と思うことがある。ドン・キホーテが風車小屋に戦いを挑んだように、無茶苦茶をやっているのではないだろうかと思う事がある。多分その通りだろう。
 正直に言って、楽な道や幸運の転がっている道がどこかにあるのではないか、と思うこともあった。

 しかし、否!
 他人の道は楽な道に見えるだけなのだ!


 私は、ただ悪戯に年齢を重ねているだけかもしれない。が、しかし私は戦い続ける。
 夢を追い続ける限り、人生からドロップ・アウトすることは無い。
 今までも夢のおかげで人生に踏みとどまってきた。
 夢という糸が繋がっているから、吹き飛ばされずに留まって来た。
 そしてこれからも夢を追い続ける事に変わりは無い。

 私にとって、夢を持つことは大切だ。
 しかし夢を持つ事が目標ではない。
 夢を現実の物とする事が目標で、そのことはさらなる夢へと進み続ける。
 魂の旅に終わりは無い。


 お節介かも知れないが私は、全ての人に「ラ・マンチャの男」を勧める。

 辛く、苦しく、めげそうなときにはこの歌を歌って頑張るのだ!!



それぞれの夢
 人にはいろいろな夢がある。

 お金持ちになりたい。
 王様になりたい。
 お嫁さんになりたい。
 好きなことの研究をしたい。
 弁護士になりたい。
 政治家になりたい。
 スポーツ選手になりたい。
 極道になりたい。
 人助けをしたい。
 自由気ままに生きていたい。
 無人島で暮らしたい。etc.

 挙げたら切りが無い。


 私は、最初に挙げた「お金持ちになりたい」に対してだけは、否定的である。
 お金は、努力した結果後から付いてくるものだと思っているからだ。
 現実問題としてお金の必要性は、大きくて無視できないのが現代社会だ。しかし後から付いてくるのが正しい順序だと思っている。
 夢を追い続け努力した結果お金が付いて来るならいいが、金を追うとろくなことにならないと思う。

 だからと言って現実に存在するものを否定しようとは思わない。生きていくことは大変だ。
 私自身も清濁併せ呑む。

 私は潔癖に成れたら素晴らしいと思う。
 そういう人生を歩んで行きたい。
 潔癖すぎると社会生活をする上で、角が立ってくるのも事実だ。
 人間はあまりに自己中心的で、世の中には善の衣をまとった不正や悪が多すぎる。

 だが諦めてはいけない。
 厳しさと強さそして優しさをもって、正義を貫くのだ。

 「ラ・マンチャの男」の作品中主人公は言う、
 「事実は真実の敵なり」



ところで
 人間はいつからこんなことを考える、人間が言うところの「知的生物」になってしまったのだろう。
 生物として、一歩上に立っているような気になっているが大きな間違いではないのだろうか。
 自然界に身を任せ、弱肉強食の摂理の中で生命を全うすれば、これが一番幸せなのではないだろうか。
 道具を操り、言語を操り、わがままに地球を蹂躙しているだけではないだろうか。
 人間とは、地球におけるガン細胞のような存在なのではないだろうか。

 人間の存在がどーしたこーしたとかややこしいことを言うつもりもないし、原始に返れなどとも言うつもりは無いが、少しは考えていいかもしれないと思う。

 今を生きる我々は、時代と地域における最善の生き方をするしかないとは思うが・・・。


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